lecca Diary【3/21】:わけ、へだたり
2011年3月21日
※ファンクラブ“lecca mania”内のlecca Diaryを転載
毎日ブログ更新してることで私の負担が増えてるんじゃないかって心配のお便りをくれるひとがいます!ほんとにこんなときに、私のことまで考えてくれてありがとうございます。優しいひとがいるもんだ… でもね 大丈夫!実際私いま、暇なんです。正直、先週から今週来週にかけて入っていた仕事がほぼすべてちゅうぶらりんの形で延期されていて、いろいろな撮影や収録やレコーディングや制作もいったんストップしているので、本来なら毎日そちらのほうの仕事でもりもり動きたいんですけれど それができない現状で私がやりたいこと、できること するべきことをやりたいと思ってやっているので、ちなみにですが そちらの仕事がまた動き始めたらこのブログの更新も減ると思います。もともと音楽を作って届けることが自分のいちばんやるべきことだと思っているので、それについてはご安心くださいね。ただ今現在は毎日ブログを書く時間もあるし、何も苦にはなっていないので大丈夫です!心配してくださった方ありがとうございます
私は文章を書くのが好きで、手紙を書くのも好きで、よく身近なひとには手紙を書いて渡したりして普段言えないことや伝え忘れていたことも書きながらああもっと出てくる、と思ってやっぱり書くことはすごい!自分の頭のなかの整理にもなる、て思っているたちなんですね。だから当然、人のブログを読むのもすきです。といってもあんまり数は多くないですけど 好きなエッセイストのブログとかは見つけるとお気に入りに登録してちょくちょくのぞいたりします。
そんなことをここ数日でまた再開してみたんですが、大好きなとあるNY在住のライターさんのブログに入っているコメントが、普段と違う様相を帯びてきているのをみて少々ショックを受けました。そんなところでも、この震災の傷はまだ全貌が見えていないくらいに、まだその当人たちですら気づかないくらいに深くて広い、と感じたりするのです
普段とは違って、「わけ」「へだて」がうまれてきてしまっている。
そのライターさんは思うところをNYからでも一生懸命、伝えようとなさっているのですが それを受け取る人の居住地や環境、状況によって その言葉が伝わりにくかったりすることもあるみたいです。例えばなかには、関西のひとが東京のひとはこんなときに買い占めするなんて徳が低いと思ってしまったり 東京のひとが福島や茨城の食品が危険だ怖いとあわててしまったり 福島や茨城のひとは安全なNYにいて危険とか怖いなんて言わないで欲しいと思ってしまったり それはその場所その場所でうまれるごく自然な感情で、全くだれかを責めることができない状況だと思います。昨日のマニアの方のコメントでもありましたが 避難所でも「あなたの家は崩れていないのに」といって物資をもらいにくるひとを白い目で見ることがあったというお話もとても耳にしてつらいです。人によって、家族によって、地域によって、市によって、県によって、国によって あるものとないもの、できることとできないこと きっぱりとわかれてしまっているのが震災直後の現状だと思います
よかれと思ってそれをやっているひとは、なんと言われようと自分の信じるやり方をやめないこと。それも大事だし
できるならば、ひとりひとりが「あそことここ」「あっちとうち」「あちらとこちら」というふうに、なるたけ復興に際してはわけへだてを生まない考えを持っていくことが肝要かもしれないです 人間なので絶対そう思っちゃいますが、でも みんな農業や産業は守りたいし みんな安全な食品を食べたい。それはみんな一緒のはずなので どうしたらみんなでそうなっていけるか毎日ぐちゃぐちゃ考えてゆくしかないのかもしれません。
最近読んでいた本で、書いてあったこと。
人が大きな一本の木だとしたら、自分が育てていこう はぐくもうと思ってそうした枝しか成長していかないそうです。いろいろな枝があって たくさんのありえる可能性があって でも自分が手をかけて水をやってこうなれ、こうなれと思いをかけていった枝はどんどんと成長していって、それをしなかった枝はとたんに枯れて 栄養を失ってゆくみたいです。この本は少々スピリチュアルすぎる本だったのでほとんどの内容に「なんだそりゃ!」とか突っ込みを入れながら読んでいたんですが この部分だけは自然とうなづけちゃいました。たしかに。。私自身、10年前に育てていた枝と いま育てたいと思って水をやってる枝ってぜんぜんちがう。10年前に育てていたはずだけど 途中で枯れていまその姿がほとんどない枝もある。
いま またたくさんの枝の芽が自分にくっついていて、栄養をやってはぐくんでいく枝を選べるのなら 人にたくさんたくさん与えてきてもらった人生だから、人にたくさんたくさん与えていけるような枝を選んで水をやっていきたい。人のことを怒ったり責めたりして魂のエネルギーを使い果たしてしまう生き方じゃなくて 怒られても責められても人が笑ってくれるように動いていけるようなじぶんの枝をもっと大きく強くしていきたい。そう思います
今日は連休最後の日ですが、この連休で自分も少しきもちが落ち着いてきた気がします。今週は普通に、もっと普通どおりにできるように。明日からがんばります!