☆「ボロボロのスニーカーとFREEDOM」本人解説☆

「僕がいた」

試聴はこちらWindows Media Player

このトラックをもらったときから大袈裟に言えば運命的な出会いを感じた。
シンプルな曲と言うよりは大胆にストリングスアレンジ、つまりオーケストラが言葉達の裏でバーンと派手に鳴ってる。

こういうトラック自体が派手な曲は、ぶっちゃけ今まで避けてきました。
『何故?』
それは僕の音楽的な好みと言えばそれまでなんですが、こういう派手な曲って歌詞によっては本当にただの薄っぺらい内容の無い歌になりがちだと思うんですよ。もちろんここでの薄っぺらいというのは歌詞の内容に関してです。つまりオーケストラを従えて歌うほどの詩を書いてないじゃない、って所に僕は陥りたくなかったからです。
だからこのトラックをもらった時から頭を悩ませました。書きたいという衝動は溢れてる、しかし僕が苦手な派手な曲だ、何をテーマにしよう、軽いのは嫌だ、僕は何を伝えよう、愛、正義、人生観、夢、色んな考察が頭をくるくる回りました。そして書いても書いても辿り着けないような錯覚に一時陥りそうになりました。
そんな時に寒い夜空の下に散歩に出かけました。
まだ季節は真冬だったのでダウンジャケットにマフラー、ニットの帽子、デニムジーンズの下には猿股、靴下はスキー使用の分厚いやつ、つまり防寒対策ばっちりの散歩、つまり歌詞作りに嫌気がさしだした僕は1時間くらい外に出かけようと思ったんです。一言で言えば気分転換ですね。
そして僕は僕の住んでるマンションを飛び出し街を練り歩きました。街は空気が乾き、ぴーんと張り詰めるような寒さ。吐き出す息は息の存在を確認出来る真っ白。僕は何も考えず、考えないように努力して街をずんずん歩いた。そうこうしてると身体はポカポカ暖かくなり僕は気が付いたら家から30分くらいの所まで来てました。気がつくと街灯が少なく川と橋が広がる庄内川の土手でした。遠くに名古屋駅のセントラルタワーズが二本綺麗に点滅してました。まるで闇夜に浮かぶキャンドルにも見えました。そして僕は意識をすることなくふと自分の上に広がる夜空を見上げました。
綺麗な何百の星が僕の目には確認できました。その瞬間さっきまで殺気だつほど真剣に書いてた僕がとてもちっぽけに思えました。そしてそれと同時に歌を書くこと歌うことが特別にも感じました。二つの相反する思考が同時に心に訪れました。
家に帰り再び机の前に腰を降ろし真っ白のノートにペンの先を乗せました。
サビが一気にメロディと言葉になって出てきました。
こうして曲のテーマが決まり新たな意味と命をトラックは手に入れました。

テーマ、星めぐりの歌。

僕は自分のライフを夜空に重ねることにより自分だけの人生観を探そうとしました。何故に人間は一週間という七日間に月から日曜日という名前を付けたのか?
やはりそれは生きる日々、過ぎ行く日々に愛をもって意味をもたそうとしたのではないか。死ぬまで、魂の火が燃え尽きるまであきらめないということを昔の人達も感覚で持っていたのではないか。そんなことをイメージしつつ、僕も僕だけの名もない日々にも意味を持たせてしっかり人生の一瞬を輝かせたい。そんな熱意をあらためて感じました。出会いがあってひらける日々の扉があるってことがわかりました。この曲は僕にとっては、人生の一つの存在の証明です。そんな気持ちを素直に書きました。そしてこの作品が僕を取り巻く仲間、そして聴いてくれたみんなの生きる道しるべに少しでもなってくれれば嬉しいです。
昨日にもその前にも僕らはそこにいた。そんな当たり前のことを夜空の星達が教えてくれました。
そんな曲です。