TAKURO YOSHIDA
menuclose

ラジオの青春

あ!そうだ!前回のエッセイ「Address Unknown」


書き忘れた事が・・(いいじゃ-ね-か・・そんな細かく・・気にしなくても(笑)


ですが・・この1曲目のアレンジについて、エンディングの絶妙な「演出」について書きました


ですが・・ですが・・実は言い忘れた(書き忘れた)重要な、もう1つのポイントがあります!


いきなりですが・・そうなんです・・イントロ(曲の始まり)に実は大きな秘密が・・


武部君が意図的に「それをねらった」のか!彼なら・・あり得る


ともかく「あれだ!久しぶりに聴く・・あれを・・再現してるんだ!」


曲が始まった瞬間に「あ!」っと思った人は「リアル拓郎通(つう)」だと僕が認めます


ただし「始まった瞬間」・・・瞬時に「アッ」と・・・気がつかなければいけません(笑)


そして・・10秒経過しても・・何も感じなかった人は「そのまんま」の人だと・・(大笑)


(ヒントは・・・ここの連載エッセイにも登場した画像が関係しています)


イントロが始まった瞬間に気がついた方は・・きっと・・エンディングで「より胸熱」かも


 

 

さてミニアルバム「ラジオの夢」の2曲目「五月の風partⅡ」


想い出たちを、そっとやさしく、口づけるように抱きしめる


また逢える日は、もう来ないような、そんな気持ちもあるんだよ・・・


 

夏に向かう雲たちよ、先に行ってくれないか


あの頃の事もう少し、思い浮かべていたいから


時を抱いた旅人よ、時間を僕にくれないか  


あの頃の歌もう一度、胸の中で歌うから・・・」


 

という感じの新しい言葉たちを書き加えて新たにRecした曲は


最高にファンキ-な仕上がりとなっている


 

このファンキ-なフィ-リングこそが


僕が広島時代から愛し続けていたR&B的な音楽の底流にある、いわゆる「ノリ」なのだ


例えば、古い曲だが、お気に入りだった「僕の唄はサヨナラだけ」は


アルバムで初公開したアレンジが、ほぼ完成形だったが・・


かなり複雑なリズムパタ-ンでの演奏が、聴く側の耳に馴染めなかったようだった


後のLiveステ-ジ等で、通常の16ビ-トに戻して演奏したら、客席がノリノリになっていた


この辺りにも、あの頃の日本の音楽シ-ンを取り巻く環境のレベルが・・ちょっと哀しい


フォ-クミュ-ジックが「詞の世界は斬新ではあったが・・音楽的にレベルがイマイチ」


その事が吉田拓郎には大いなる不満であり「ここに居ても自分の未来は来ない」と感じて


「1人になってもいい」・・自分のやりたい音楽をやる!という道へ突き進む事になる


フォ-キ-で、ロックで、ファンクで、演歌で、ム-ディ-で、バラッドで・・・


呼び名なんてどうでもいい!やりたい音楽をやるだけのことだ


カン違いされがちだが・・僕の「やりたい事をやる」・・は・・自分勝手とは違う!


これは「音楽」の道に関しての「信念」の話しなのだ


信じた道を進む事は、その人にとって「自分に正直に生きる」事であり


自分勝手とかワガママ・・なんて表現は当てはまらない


*ちなみに、この原曲のリズムパタ-ンは、Rec当日にスタジオでベ-スの後藤次利と


 ギタ-の矢島健が「変則的なノリのパタ-ンを作ろう」とアイデアを出し合って


 ドラムの村上ポンタ秀一と共に、独創的な演奏をRecしたのだった


 (あの時代こんなトライするバカは僕だけだっただろう・・でもワガママなんかじゃない)


 

「五月の風partⅡ」では


戻れない季節への哀愁と、今という現実を感じながらの「希望」を込めて


私たち「永遠の旅人」が、ラジオという「架空の青春」の空間で出会いながら


つかの間の休息を「共にしよう」と歌います


だから・・修正無し・・1発録りOKのボ-カルにこだわったのです


 

*画像は、我が家のベランダに毎年のように遊びに来る?トンボ


 4階の・・北側のベランダに・・この2年・・夏の終わり頃に・・多分「シオカラトンボ」かな


 15分ほど羽を休めて・・飛び去って行きます・・どこから来て・・どこへ行くのか・・


 来年も「来てほしい」と・・思いを込めてパチリ


       2024年10月21日  拓郎