ラジオのパ-ソナリティ-・・
このパ-ソナリティ-という呼称は僕がTBSパックインミュ-ジックを始めた頃には
すでに使われていた?と記憶する・・・たしか僕の前を担当していた北山修は
「木曜担当パ-ソナリティ-北山修」として人気があった
もっと以前だと音楽番組での、この役はD.J(ディスクジョッキ-)と呼ばれていたが
音楽をオンエアするだけでなく、本人のト-クも番組の大きな要素となるようになり
パ-ソナリティ-の名称が定着したようである
あの頃(70年代の初期)フォ-クソングのステ-ジでは「独特のしゃべり」をするのも
そのシンガ-の人気の1つだったような記憶がある
僕の危なっかしい記憶では、高田渡の曲と曲の間の「間」は・・何とも言えないボソボソで
時には「眠ってしまうのではないか・・」という危ない空気が、いつも笑いを誘っていた
(彼は無類のアルコ-ル好きだったので・・余計にト-クが危なくて、でも面白かった)
パックインミュ-ジックを担当した期間は短かったけれど
(ある時から番組の制作スタッフがTBSではなく外部制作になると通告されて
僕としては自分を抜擢してラジオの楽しさを細かく導いてくれたMディレクタ-達と
一緒にやれない番組を続ける意思は無く・・残念だったが降りる決心をした)
初めての深夜放送だったから、実に楽しくて、毎回やり甲斐のあるテ-マも用意されたり
ともかく全てが大いなる「勉強の時間」となっていたのも事実だったのである
同じ時期にニッポン放送でバイタリス・フォ-クビレッジを担当していた
記憶がアヤフヤだが・・毎夜の11時からの15分の番組ではなかったか?
後に同じ事務所の出版ディレクタ-となる陣山俊一(春を待つ手紙の架空の主人公)など
多くの後輩たちが、大学生のア-ティストとしてゲスト出演していた
毎回ゲストのほとんどが大学キャンパスフォ-クのアマチュアミュ-ジシャンだったので
石川鷹彦と岡本おさみが番組の顧問的なスタッフとして音楽面、作品面でのサポ-トを担当
僕も二人とは「ここで」知り合う事となったのだ
ミニアルバム「ラジオの夢」4曲目は「真夜中のレタ-」
フォ-クビレッジのテ-マソングは、当時は番組用だったので1コ-ラスの作詞だけだった
アレンジはアルバム「人間なんて」で、何とも流行のフォ-クミュ-ジックらしくない!!
むしろB,S,Tとかシカゴを意識した木田高介のアレンジによるブラスロックでのRecを選んだ
後に僕がフォ-ライフからインペリアルへ移籍し、鳥山雄司と二人だけで
旧曲のカバ-アルバムを発売した時に、このテ-マソングの2コ-ラス目を書き足して
「僕等の旅(CMソング)と合体させた「Oldies」を録音した
そして今回、やっと、この未完の・・されど大好きなメロディ-に「フルで作詞を完成」
胸を張って「この曲を聴いて下さい」と言える日が来た事がなにより嬉しい
「君の心に触れる夜 涙拭かずに歌いたい
君の言葉を抱きしめる 僕の気持ちを打ち明ける
今夜の僕等は 地上の星屑 せつない時間を旅する」
2024年10月26日 拓郎