TAKURO YOSHIDA
menuclose

ラジオの青春

レコ-ディングもmixダウンに入った


いよいよ・・そんな時が来た


ともかく「今やれる事はやったな」だ


 

まだ僕の周辺は何となく、あわただしい動きもあるようで


正直に言って・・もう・・いいよ・・と思う事もあるし・・


でも以前からたのまれていた作曲が、もう1件ある・・今のところ(苦笑)


これも、絶対に全力投球するつもりではいる


だってね-・・アイツからたのまれたら・・ねえ・・アハハ・・


 

*画像は・・


 2度目のロスアンジェルス


 アルバム「シャングリラ」の制作で再びL.Aへ


 機内で手にしているのは懐かしの「Sonyウオ-クマン1号機」で1979年頃発売かな?


 このウオ-クマン!ともかく録音機能が無い(このアイデアは斬新だったね)


 ポ-タブル・カセットプレ-ヤ-だったが爆発的な人気となった


 我々ミュ-ジシャン仲間もツア-移動中は、ほぼ全員が機内、車内で使っていた


 

 その後2代目ウオ-クマン以後はCD・MD等の機種が続き


 カセットテ-プの姿は時代と共に見られなくなって行く


 これは僕個人の勝手な感覚だけど・・例えばLP盤とかEP盤が全てCDになった時


 マジで「これからは、こんな貧相なサウンドでいいわけ?」って・・


 単に「音」の事に限って言えば・・それくらい・・CDの音って冷たく細く感じた


 そんな気分からすると・・ポ-タブルな録音機器も同じ事が言えたように思うのだ


 カセットテ-プの決してクリアではないけれど「何だか暖かい」って思える音質は


 その後のCDやMD等の新しいモノからは感じられなくなったと・・


 チョイ淋しく感じていた・・あの頃はね・・


 

 ちなみに僕は現在も自宅で就寝時にiPod・nanoとウオ-クマンSを使って


 50年代60年代アメリカンオ-ルディ-ズを聴きながら楽しい眠りに入っている


 まあ、この場合はステレオサウンドもモノイヤホンに変換しての「眠り用」なので


 音質は要らないし、横向きに眠るので(何だか・・寝ぞう・・が・・バレて・・)


 片耳にイヤホン差したままで朝が来てもOKな状態を優先している(ヘンなのッ!)


 

 さて、録音スタジオはL.A郊外のマリブにある「シャングリラ・スタジオ」


 憧れのザ・バンド解散記念ドキュメント映画「ラストワルツ」が


 撮影されたスタジオである


 あのザ・バンドの連中が「ここに居たんだ」と思うだけで身震いがした


 一番びっくりしたのは・・そのキ-ボ-ディストのリチャ-ド・マニュエルが


 時々スタジオに来て僕達の作業をのぞいていた事だった


 (どうも・・いけないタバコを、いつも持っていたようだった?)


 

 レコ-ディングの後半になってプロデュ-サ-のブッカ-Tジョ-ンズが


 「タクロ-はザ・バンドの大ファンらしいから、1人呼んでやるよ」と


 もう1人のキ-ボ-ディスト、ガ-ス・ハドソンをスタジオに呼んで


 アコ-ディオンをダビングする事になった


 作詞の岡本おさみも同行していて、ガ-スが「この曲ってどういう内容だい?」


 と聞いてきたので、岡本おさみが日本語で歌詞の内容を説明した


 通訳が訳すのを聞いていたガ-スは「フウ・フ-ン・・フウ・フ-ン」とうなずいて


 スタジオに入り演奏し始めたが・・


 僕のつたない英語力でも、通訳の説明が「なんだか・・そうかなあ?」だったし


 それを聞いていたガ-スが「大いに理解して納得した」とは・・思えなかった


 そして、彼の弾くアコ-ディオンは・・さらに難解なアプロ-チで・・まいった(笑)


 

 初めての海外レコ-ディングで「わかっていない自分」を発見する事が多かった


 ブッカ-Tジョ-ンズとの音楽的なコミュニケ-ションにも


 大いに戸惑ったし、言葉の壁も感じた・・全てが僕の勉強不足だったのだ


 そこで思ったのが、セッションの場で様々な場面を想定して(特に言葉のニュアンス)


 もっと「説得力のあるデモテ-プを作って現地入りすべきだ」という事だった


 それは後のバハマ諸島コンパスポイント・スタジオでのセッション


 「Long time no see」では大いに力を発揮する事になるのだった


           2024年8月31日  拓郎