TAKURO YOSHIDA
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ラジオの青春

広島で大学2年生の時に車の運転免許を取得したけれど


すぐに車が欲しい・・という程のマニアな気分も無かった時代だ


大学の同級生でも、ちょっと豊な家庭環境の連中は愛車での通学をしていた


同じゼミの友人がトヨペット・コロナに乗っていて


時々乗せてくれたが・・まだ運転したい!という欲望はゼロだった


夏のある日、バンドのメンバ-が「ファンクラブたちと一緒に山登りしよう」と企画


目的の山のフモトまでは交通機関がないため誰かが車で運転して行くしかない


という事で・・僕が知り合いの会社員の女子に「1日だけ車を貸してくれないか?」と


たのみ込んで、彼女のパブリカを借りる事になった


これが僕の「初乗り・初運転」となったのを、はっきり記憶している


 

あの時代に車でデ-トする若者ってのは(映画アメリカン・グラフィティ-ではアメリカの若者達が


フォ-ドなどのデカイ車を乗り回してガ-ルフレンドとデ-トしていたが)


広島の僕等の場合に限定すると・・かなり裕福な家庭環境で育った者でないと


なかなか愛車で登校する学生とか、愛車でガ-ルフレンドとデ-トする学生なんて


そんなに多くは居なかっただろうと思う


 

さて東京での生活に慣れ、収入的にも少しずつ余裕が出てくる頃になって


「スバル・レックス」という車のCMソング依頼が飛びこんで来た


「振り返ってみるのもいいさ・道草食うのもいいさ・僕等の旅は果てしなく続く」


これが好評を得てスポンサ-サイドから所属事務所に2台のレックスが寄贈される


そして、この車が僕の東京での「初乗り車」(って言い方あるかな?)となったのだ


(実は上京後に所属していたE社では通信販売の物品を運んだり、他の歌手のレコ-ド等を


レコ-ド店に運んだりする事もあったので会社の車を運転していたが・・マイカ-ではなかった)


 

以後50年以上の音楽人生で「愛車として乗り回した車はレックスを含めて16種」だった


レックスは当時の所属事務所では今は亡き盟友、陣山君という人物が1台を愛用していたが・・・


ある日、渋谷公会堂で僕のLiveがあり、彼の運転で会場へ向かった事があった


あいにく雨の日で会場の横にある駐車場に車を止めて楽屋まで走った


楽屋に落ちついて・・しばらくして・・窓から外をながめていたら・・


マネ-ジャ-の渋谷君が言った「ね-タクロ-!あの車でさっき来たんだよねえ?


あのモスグリ-ンのレックスだよねえ?」


「うん、そうだよ、陣山の車で来たんだよ」


「え?陣山さんは、まだ車に乗って居るんですか?」


「え?どうしてさ!陣山は、もう会場のスタッフ整理でソッチに行っちゃってるだろう?」


「アッ!そりゃ-マズイよ!・・あそこに停めてあるレックスはワイパ-が動いてるよ!」


 

陣山君は、その後も愛車を次々に乗り換えて、それなりに車に詳しかったが


彼の車の助手席に乗りたがった人はゼロだった・・と記憶する(女子も含めて)


何しろオッチョコチョイだったし、それに・・車内がいつも「何やら飲み物の空きビンとか


食べ残しのサンドイッチとかで散乱」していたからだと思う(笑)


 

さて僕の愛車2台目はイギリス車のジャガ-XJ6という車である


これは、もう有名なエピソ-ドとなっているが・・実話である


通りがかりの外車専門の中古車販売店でジャガ-XJ6を、この目で見た瞬間!


「乗りたい!」と思ったし叫んだのだ


薄いブル-の車体カラ-も美しかったし、車内のウインドウ周りに「木」が使われていた(はずだ)


そして中古車だったから「買える」価格でもあった


まだまだ無鉄砲が始まったばかりの僕である・・「買うよ」と店員に言ってしまったのだ


生まれて初めて自費で購入した1台目の車という事になった


 

その後は(時々ここをのぞいてエッセイを読んでいる方なら多分ご存知かと思うが)


僕の得意とする(得意ではなく飽きっぽいだけかも)引っ越しが続く事になるので


その時々のガレ-ジの雰囲気によって愛車も色々と乗り換える事になり


結果、最後となったミニ・ク-パ-までで「計16台の国産・外車」とつき合った事になった


最後となったミニは、かまやつひろしとの、彼が闘病中に「無言の約束」のような気分に推されて


購入したが・・結局はあまり乗らなかった・・しかし長い間ツア-を支えてくれた事務所ハイクアウトの


森野君が引き取ってくれて、現在も元気に走行中という事である


 

色々な車を愛して楽しんだが、その車で関西・四国まで遠乗りした事があるのが


BMW320iのオ-プンカ-タイプ、ポルシェ924、ベンツ・ゲレンデバ-ゲン2ドアである


BMWではツア-先の四国までドライブ、ポルシェとゲレンデでは大阪に2度ドライブした


東名高速を、大好きなアメリカンオ-ルディ-ズや愛するマウイを思い出して


ハワイアンミュ-ジックを聴きながら走るのは最高の楽しみで


途中のサ-ビスエリアに立ち寄って軽食したり飲み物を買ったりを楽しんでいた


 

静岡県の「つま恋」へはLiveでもツア-バンド合宿でもプライベ-トでも何度もドライブした


お気に入りのサ-ビスエリアは富士川サ-ビスエリアだった


あのパ-キングエリアからの景色は素敵で、しばし写真を撮ったりする場所だった


 

追伸:後期高齢者の運転免許証の書き換えという面倒くささ、に限界を感じて


   僕は数年前に車との付き合いを卒業しました


   でも時々ですが・・「あ-ハンドル握りたいなあ!」と思う事があります


 

 *画像は最後に運転したミニク-パ-と


  「ムッシュかまやつ」から僕へのラストメッセ-ジとなった


  「タクロウ!一度はミニに乗ってごらんよ!いっぱい不満も感じるだろうけど・・


   そんなのを越えて、楽しい!って思うはずだよ・・水無し川を歌いたくなるよ!アハハハ」


  ムッシュは「我が良き友よ」よりも「水無し川」が好きだったのかな?って・・・ふと・・・思った


           2024年9月9日  拓郎