元々が乗り物酔いとかする体質だったので飛行機という「空を飛ぶ物体」に乗るなんて
普段から「なるべくお断り」な・・はず・・だったのだが・・
さすがに札幌でのコンサ-トとなると・・他の手段では「気が遠くなりそうな」時代だったので
トラベルミンとかのお世話になりながら・・ともかく機内では目的地到着まで緊張の時間を
同行の誰にもわからないように!時には作り笑顔で・・耐える・・事で頑張ったのだ
国産飛行機YS-11が飛んでいた時代でもあったので、客席も狭いし・・乗り物酔いする僕には
飛行中は緊張の連続で、あの頃は憧れの存在だったスチュワ-デス(現在はCA)のお姿を
拝見する余裕すら無かった・・(そうでもなかった・・時も・・あった(笑)
その頃の僕のスケジュ-ルは相当にハ-ドな毎日だったので九州や中国地方への移動手段として
飛行機が使われる事も多く、日帰りで深夜近くにロ-カル飛行場から羽田へ向かう便で
東京へ帰る事も多かった
そんな時代の良き思い出で今も覚えているのは「東亜航空」という会社の飛行機で
(あやしい記憶ではあるが、あの頃は夜11時頃の便もあったように思う)
広島とかからの帰りに良く利用していた
夜も遅く最終便とかになると利用客の数も少なくて、気分的にリラックス出来て嬉しかった
機内でも後ろの方の座席に座るのが好きで、空席の多い場所の窓側の席に1人で座っていると
スチュワ-デスが「お疲れでしょうが・・何かお飲み物をお持ちしましょうか?」と
優しい笑顔で話しかけてくれて、疲労コンパイの僕も、さすがに嬉しくて生き返ったような声で
「あ-いいですね-お願いしますよ」なあ-んて・・明るく答えていた(お調子モノ)
「王様たちのハイキング」ツア-の頃が最もバンドの連中とも公私共に共有する時間が多かったので
地方から帰ってきても夜な夜な六本木の行きつけ「鮨や」で集合し、深夜遅くまで飲み語り合っていた
2軒目のバ-へ移動するとメンバ-の誰かが呼んだのであろう・・
スチュワ-デスの女性たちと合流する事がよくあった
つくづく思うのだが・・あの頃、ミュ-ジシャンって言うだけで、けっこう「モテていた」時代だった
さらに言えば、僕たちメインのシンガ-よりも、バックミュ-ジシャン達の方が圧倒的にモテたのだ
全国ツア-で日本中を移動中に「機内で知りあって(ナンパして)」飲み友達になったのだろうが
僕なんて、その度に「タイコ持ち」になって彼等のために雰囲気作りに励む男をやっていたのだ(涙)
*画像は・・・
1980年代、ハワイへの機内でファ-ストクラスでワインをいただきながら上機嫌の僕
昔ビ-トルズが日本へ初上陸した時に、このJALのハンテンを着ている写真が印象的だったので
機内で乗務員の方に話したら「笑顔で出してくれた」のである