TAKURO YOSHIDA
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ラジオの青春

「飽きっぽい」という言葉で、僕の性格を短絡的に簡単に語られる事も少なくない・・が


それは、大きなカン違いであり誤解だと、ここで正直に申し上げておく


先日のラジオでも、お話ししたけれど・・あの頃、僕はまさに1匹狼のような環境に置かれて


周囲には(敵とまでは言わないにせよ)僕の言動を根本から否定するような


古い体質が顔を利かせる社会状況というモノが頑として存在していたのだった


特に僕が、事あるごとに困り果てていたのがマスメディアの持つ旧体質である


 

 

ある週刊誌の記者は「アンタの記事をウチで書いてやる」という上から目線での物言い


また某テレビは「歌わせてやる」という接し方で、僕からすると不愉快な気分は隠せなかった


それでも当初は「わかりました」と答えて僕なりに対応していたのだが・・・


 

 

「あなたはボブ・ディランの影響が大きいって聞きましたが・・そのディランについて


拓郎さんの今の想いを語ってくれないですか?読者もボブ・ディランについて


知らない人も多いと思いますのでね」


僕はその時「これは良いチャンスだ!今どうして、ここに僕が居るのか?を話したい」


と興奮しながら・・2時間あまり「そもそも僕の音楽の、ここまでの経緯と体験


そしてフォ-クという言葉で必ず引き合いに出て来るボブ・ディランに関する


僕なりに知り得ているエピソ-ド」などを熱く語った


 

 

「なんだ!これは!どうなっているんだ?・・・あのヤロ-・・・ふざけやがって」


発売になった雑誌の僕のインタビュ-のペ-ジには・・ボブ・ディランは


たったひと言「僕にとって彼は神様です」という言葉で片づけられていたのだった


1時間近くディランを語った・・・・のに・・である


そして「そんなこたあ-どうでもいいじゃ-ね-か」な僕の日常の下世話なエピソ-ドが


数ペ-ジにわたって記載されていた


 

 

もはや「限界だあ-」という気分100%で・・そこから「取材拒否男」と名づけられてしまう


・・そうやって・・吉田拓郎という「生意気で自分勝手で独りよがり」な男がデッチ上げられるのだ


 

亡き母がよく僕に語った言葉が忘れられない


「あんた、いつからそんな頑固者とか自分勝手って言われるような男になったんだい?


広島に居る頃って、アンタみたいに主張の無い男の子が東京でやって行けるか?って


そこが一番心配してたところだったのにねえ」


 

 

僕が「変わり者」でも「がんこ者」でも「意地っ張り」でも「飽きっぽい」でも・・ない!事は


母も、広島時代のザ・ダウンタウンズのバンドメンバ-も、当時の広島フォ-ク村の連中も


皆んなが知っている


それでも吉田拓郎を「ガンコモノ・イジッパリ」に、しておきたい「ヤボなへそ曲がり」がいた事は事実


そう「思い込んでいる人たち」こそが・・・融通のきかない「旧体質から脱け出せない時代錯誤」なのだ


 

そもそも・・胸に手を当て(なくても、いいから)ヨ--ク考えてもらいたい・・


1:そんな偏屈なヤツに「流星」のような「純に青春を懐かしむ」曲は書けません


2:そんな強情っぱりに「君のスピ-ドで」のような「素直なラブソング」は書けません


3:そんな独りよがりに「ガンバラナイけどいいでしょう」のような「ナイ-ブな心情」は書けません


4:そんなバランスの悪いヤツに「音楽の長い道」は歩き続けられません!


母は、きっと言うだろう


「なあ~んだ・・アンタ・・やっぱり何にも変わってなかったのねえ・・そうだと思ってたわよ


あの病弱で、心も弱くて、友達の言う通りに行動していた拓チャンだものねえ・・


まあアンタが上京を決意した瞬間から、そういう運命が待っていたんだろうね・・おつかれさまでした」


 

ミニアルバムの5曲目「主役」は


ラジオリスナ-からのメ-ルに心を動かされて書きました


世界中の「私」が歩いている「私の道」は


誰が何と言おうと・・私しか知らない・・けど私が胸を張って歩いている道なんです


 

*画像はスタジオにて久しぶりにキ-ボ-ドを楽しむ僕


 相変わらず弾いている曲はレイチャ-ルズの「I Can't Stop loving You」


 広島時代から・・これ弾きながら歌う・・のが得意・・ってか?・・・・これしかチャンと弾けない(笑)


           2024年9月30日  拓郎