ニッポン放送からも声がかかった
カレッジフォ-クのブ-ムの中で生まれた番組だという事は
ずっと後年になって知ったけれど
当時は何しろ基本的に「何もワカッテいないし、何でもやってみる」で飛びこんだ
「バイタリス・フォ-クビレッジ」は僕がパ-ソナリティ-を担当する以前から
大学生を中心に人気の番組(だったそうだ)
アマチュアのフォ-クグル-プが登場し演奏する、言わば登竜門的な番組だった
この頃は、その名も知らないし積極的に話し合う機会など無かったが
後に沢山の作詞を提供してくれた「岡本おさみ」が番組の構成etcで参加し
そして「石川鷹彦」が音楽の総合監督みたいなポジションに居た(ことを後に知った)
当時はブ-ムだったこともあるが
各大学にフォ-クグル-プが1つは存在していたと思う
アメリカのブラザ-スフォ-、キングストントリオ、P.P.M等をコピ-するグル-プが
こぞって、この番組への出演を目指していた(そうだ)
アメリカンフォ-クと言えば僕にはボブ・ディランしかイメ-ジが無いのだが
この番組を担当する事になってから、色々とフォ-クソングとは?を
資料など集めて勉強するようになった(遅い)
そして本場アメリカのカントリ-やカントリ-フォ-クを知れば知るほど
「フォ-クって日本には定着しない」という考えが僕の中に生まれる
和製フォ-クとか4畳半フォ-クというジャンルはレコ-ド業界やメディアが
売らんがために発案したネ-ミングに過ぎないのだ
アコ-スティックギタ-を持って歌えばフォ-ク!・・・そんなバカな!
そもそもフォ-クソングの原形となるカントリ-ミュ-ジックは
我が国にも愛好者が居ていくつかのプロのカントリ-バンドやシンガ-が存在した
あの「かまやつひろし」も、彼の話を聞くと「デビュ-はカントリ-シンガ-」
だったと話してくれた・・・事実、彼はアメリカのカントリ-ソングを歌わせると
「我が良き友よ」よりも数段上手く歌えるのだった(涙)
後年に知りあって曲を書いた俳優の小坂一也は「青春サイクリング」の大ヒットで
僕も子供の頃よく口ずさんでいたが、彼もまたカントリ-シンガ-だった
*画像はニッポン放送主催のフォ-クソング・コンテストと、思われる
この企画は東京だけでなく番組オンエア中のロ-カル局の地元でも行われた
札幌大会での楽屋に「あの女性」が居た事は忘れられないメモリ-である
2024年 8月9日 拓郎