TAKURO YOSHIDA
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ラジオの青春

何人かのシンガ-やグル-プを集めての1回きりのその地でのコンサ-ト


そして1泊する経費も出ない場合があるので夜行で東京へ戻るというスタイル


このパタ-ンの繰り返しには限界が見えてくるのだ


各地で主催者が違う、各会場でマイクや照明の設備が違う、各地で出演順が違う・・・


これ等は初めの頃は誰も気にする事なく、ともかく「歌える幸せ」が優先であった


だがこのシステムには大きな問題があった


主催者によって各地での対応が違う事に我々ア-ティスト側は違和感を覚え始めた


ある主催者はコンサ-ト終了後に楽屋にてミ-ティングをしたい!と申し出てきた


時代が時代だったから主催者側にも、ある種のイデオロギ-を持った人達も存在する


僕達ア-ティスト側は、そんな現実など何も知らないままに各地へ出向いて


何も言わずに、ひたすらに歌っていたのだ


まさに「歌える幸せ」だった


 

ただし、僕個人のその頃の心情を想像するなら


「俺の持ち時間20分くらいでは、せっかく遠いこの地へ来ているのに欲求不満だ


せめて40~50分は歌わせろ!でないと俺の音楽の大切な世界観が伝わらない


もし「イメ-ジの詩」を歌った場合、あと1曲で俺の持ち時間は終了となってしまう


こんなの全然面白くない」という気持ちも大いにあったと思う


 

時は熟していた!


吉田拓郎の単独での全国ツア-をやろう!


バンド、ツア-スタッフ、P.Aチ-ム、照明チ-ム、楽器搬送の3トン車etcを編成


各地のこれまでの主催者とは組まない、新たに思いを同じくする若い世代に委ねる


各地の会場とは事前に入念なミ-ティングを持ち、現地の納得を得る必要がある


(照明とかP.Aはこれまで会場の持ち物で行ってきたが、今後は東京から


それぞれのチ-ムが機材も持ち込む事になるので現地の人々に迷惑をかける)


 

そして東京の大きめのスタジオで、のべ10日間くらいのリハ-サルをやりながら


現場でP.Aチ-ム、照明チ-ムも一緒にイメ-ジトレ-ニングをする


そうやって出来上がったセットを、そのままに日本全国へ届けよう


 

*画像は岩手県の花巻へ行った時と思われる(全国ツア-ではない時代)


 多分ステ-ジ翌日の午前中の駅だろう・・さて今日はどこへ行くのか?


 まだ、この旅は続く・・・と思っていたはずである


     2024年8月8日  拓郎