TAKURO YOSHIDA
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ラジオの青春

CBSソニ-レコ-ドへの移籍が決まった


とたんに僕の周辺のあらゆる状況が前向きに変化して行く


その中でもラジオ番組への出演が大幅に増えるのだった


それは深夜放送からの発信の影響力が大いに関係していたと思う


そして「テレビでは曲をフルコ-ラスで歌えない」という


それこそ時代遅れとも思える非常識を断固として拒否し


どんな曲でもフルコ-ラスが原則だと逆らう「僕流」を


迅速に受け止めたラジオの「自由さ」とのマッチングの勝利である


 

またラジオの収録現場では、その頃ステ-ジや地方へのツア-で


よく顔を合わせていたシンガ-の仲間たちと出会う事も多かった


 

あまり知られていないが、高田渡とは良く飲んだ想い出がある


アルコ-ルと言えばジントニックかウイスキ-の水割りだった僕は


学生時代にカウンタ-バ-でボトルをキ-プする習慣があった


ジンや国産ウイスキ-が安価で我々の身分相応と信じていたのだ


 

ある日渋谷のライブハウス「ジャンジャン」で共演した後で


道玄坂にあった飲み屋に一緒に行った


(当時この近所に遠藤賢司のカレ-店があって何回か食べに行った


賢司は僕のアルバムでハ-モニカを吹いてくれたり


お互いに自己流のギタ-フィンガリングだったのでウマが合った


彼ともまた、あの頃良く一緒に地方へ歌いに行った仲なのだ)


 

高田渡は有名な飲ん兵衛で、ライブの後にその日のギャラで


「飲みに行くのが楽しいんだよ」と言っていた


僕達のあの頃のギャラと言えば・・まさに彼の言う通りの使い方で


簡単に吹っ飛んでしまうくらいの出演料だったと思う


 

「タクロ-!ジンなんてやめとけよ!そんなの酒じゃ-ね-ぞ!」


と言いながら僕に「バ-ボン」というトウモロコシが主原料で


出来ているウイスキ-をすすめたのだ


フォ-クの知識が薄い僕にとって、このバ-ボンの登場は


アメリカンフォ-クの原点とも「つながりがある」(と勝手に思い込んで)


僕と違って日本の数少ない本物のフォ-クシンガ-高田渡のオススメ!


と、色々な要素が相まっていたような気がしたのだろう・・


ストレ-トグラスいっぱいに注がれた黄色い水を


興奮状態のまま、ガ-ッといっきに飲み干した・・・


 

「キツイ!こりゃ-ストレ-トでは飲めねえよ、水割りでもいいか?」


「ダメだよ!こうやってレモンをかじりながらオンザロックがいいんだ」


 

僕はお酒の事など詳しくないし、彼の話には妙に説得力があったので


その日からバ-ボンを機会ある毎に飲むようになる


ア-リ-タイムズ、I,Wハ-パ-等・・色々と飲んでみたが


結局はウイスキ-党ではない事に気がつき・・


バ-ボンから早々と引退した(笑)


 

*画像はTBSラジオ公開番組に高田渡と出演中


 彼の「自転車に乗って」と、僕の「今日までそして明日から」を


 2人でスリ-フィンガ-ギタ-で演奏し歌った


 渡も賢司も天国で「イノダのコ-ヒ-」を飲みながら


 「カレ-ライス」を食べていることだろう


      2024年8月1日  拓郎