TAKURO YOSHIDA
menuclose

ラジオの青春

関東の色々な大学の文化祭などからステ-ジの声がかかり始めた頃


曲のレパ-トリ-が「ギタ-1本の弾き語り」というスタイルに限界を感じて


経済的には4~5人のバンドを常時、専属では雇えないけれど


エレキベ-スとエレキギタ-という最小限のロックスタイルならどうか?


という思いつきから、広島時代の後輩で東京に大学生として住む2人に


声をかけ「ミニ・バンド」結成の話を持ちかけた


 

ドラムスが居ない、という編成では僕の弾くアコ-スティックギタ-での


ストロ-クスタイルが3人の構成上は大きな意味を持つ事が判明し


各会場での僕用のマイクチェックとPAシステムが重要になってくる


しかし時代的には現地に行ってガッカリする事が大部分だった


当時はギブソンJ-45というギタ-が僕のメイン楽器だったが


レコ-ディングでは、その独特のサウンドが重要になるけれども


Liveでは音量的に限界があるのでマ-ティンD-35に変更する事にした


 

ミニ・バンドでの新曲リハ-サルは杉並区にあった僕の部屋がメインで


夜ごとの練習に上下の階から苦情が多かった


練習後は3人で鍋を囲んだりしてはいたが・・実に質素な暮らしで


僕の口ぐせは「ボブディランはプ-ル付きの豪邸に住んでいるのに


俺は狭いマンションから脱け出せない!フォ-クって何だ!


絶対に俺はここを脱出してスゲエ外車に女の娘を乗っけて・・」


ミニ・バンドのI君とT君が言った「タクちゃん、頑張ってね!その日は近いよ」


 

*画像はミニ・バンドで東京でのステ-ジと長野信越放送での


   公開番組収録風景・・ミニ・バンドの顔も見える・・か?


       2024年7月30日  拓郎