TAKURO YOSHIDA
menuclose

ラジオの青春

M君は広島大学政経学部の学生だったので順調に卒業すれば


大いなる将来も期待が大だったと思うが


僕達とバンド活動に熱中する時間やプライベ-トに恋人と遊ぶのも


中途半端をイヤがり、僕の目にはプレイボ-イにも映っていた


しかし、彼にも卒業と就職という現実が目の前にちらつき始める


彼としても、まさかこのまま音楽でメシを食って行こう等とは考えない


どの大学でも4年生たちは就職活動が当面の第一課題となる季節がある


それは、ある意味では自分の人生を決める出発点となるのだから


まあ学外でバンドなんて時間は、正直に言ってキビシイものとなる


 

リ-ダ-のこの問題は残る3人にも色々と影響を与える事となった


彼を抜きにしてザ・ダウンタウンズは絶対にあり得ない事は


我々も良くわかっていたから、時の流れのままにバンド活動が


自然消滅の方向へ向かっている事が空気として伝わっていたのだ


そして実質2年と数ヶ月という短い活動期間ではあったが


メンバ-各々にとって忘れる事の出来ない青春のペ-ジが


派手な解散コンサ-ト等も無く、誰が言葉にするでもなく


気がつくと・・幕を閉じていた


 

時を同じくして広島フォ-ク村は活発なコンサ-ト活動を展開していた


その頃、東京の上智大学の卒業生たちが集まって企画を立てていた


「全国でブ-ムのキャンパスフォ-クの中に東京とは雰囲気の違う


異色のグル-プや団体がロ-カルには存在するらしいが


彼等を特集した企画アルバムLPを制作・販売してビジネス出来ないか」


 

「フュ-チャ-ズサ-ビス」と名乗る数人の若者達が広島を訪ねて来た


広島フォ-ク村のI君M君と僕の3人が代表で対応した


滞在期間中に彼等の企画内容、今後の方針などを聞く事になった


I君が広島フォ-ク村の代表だったので彼の決断に僕は従う事にして


もっぱら東京の連中に広島の夜を案内する役割を担当した


連日、彼等と飲み歩くうちに、この企画アルバムにさほど魅かれないが


東京で録音スタジオを借り切ってのレコ-ディングが出来る事!


この事には、チョットやってみたいという好奇心も芽生えた


最近の自作曲の評価を試すいいチャンスという事でもあったし


前回の挑戦では自分の技術的な力量不足を感じていたのだが


あれからザ・ダウンタウンズでR&Bやロックンロ-ルのボ-カルと


ギタ-を磨き上げた自信もある「これも1つのトライじゃないか!」


 

そこからアルバム制作に参加する広島フォ-ク村の人選がスタ-ト


レコ-ディングを想定した各自のリハ-サルも始まった


僕は「イメ-ジの詩」を後輩のS君にギタ-、K君にエレキベ-スと


いうアレンジメントで各人にフレ-ズラインを指定しながら


連日の猛特訓が始まったのである


 

*画像はエレックレコ-ドでの契約後に初となるステ-ジ


 左側に写る後ろ姿は、僕も驚きを隠せなかった!


 あの「はしだのりひこ」が花束を持ってステ-ジに登場した場面


 この事を知る人は、きっとその日、会場に居た人だけだろう


     2024年7月27日  拓郎