TAKURO YOSHIDA
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ラジオの青春

愛してやまないR&B系のロックやブル-スという音楽だったが


それほど世間的にはポピュラ-な存在にはなっていなかった


ビ-トルズがアルバムの中で歌ってみせた「ロングト-ルサリ-」


「You Really Got a Hold on Me」「プリ-ズミスタ-ポストマン」などが


彼等のオリジナルではなくアメリカの黒人R&B系の曲をカバ-したもの


だと知っていたのは、かなりなポップス通であり音楽好きな人々で


客席で失神していた女の子たちは、そんな事どうでも良かった(と思う?)


そんな時代だから僕らが目指していたロックバンドの理想型も


あの季節、ましてや広島というロ-カルでは「ワカッテもらい難い」


音楽志向だったと思う


(ちなみに僕が歌うレパ-トリ-はリトルリチャ-ド「Good Golly Miss Molly」


マッコイズ「ハングオンスル-ピ-」キンクス「All Day & All of the Night」


ソロモンバ-ク「If You Need Me」テンプテ-ションズ「マイガ-ル」


などがメインで・・大好きだった女性歌手ティミユ-ロ「涙が頬をぬらす時」


を歌うと客席から黄色い声が飛んでいた・・親衛隊の女の子たちだった(笑)


 

もともと僕個人はFENの影響で60年代アメリカンポップスが大好き


だから自分が歌うとなると選曲がそちらへ偏りがちだったのだが


リ-ダ-のM君が毎回の練習場に持って来て我々に聴かせるのは


市内のレコ-ド店で彼自身が取り寄せたLPやEP盤で


黒人R&B系の曲が多くなっていた事もあって


バンドがそっちの方向へ向かって行くのは自然の成り行きだった


彼は新たに「バンドを作り直そう」という決心をした頃から


黒人ア-ティストのR&Bという音楽に魅力を感じていたようで


持ち前のハイト-ン(歌う声が男声としては高い音域でカッコいい)を


充分に発揮出来る曲を選んで来るようになっていた


 

しかし例えば僕が彼のボ-カルのバックで弾く事になる


エレキギタ-のカッティング等は非常にユニ-クでざん新だけれど


当初は曲によって戸惑うくらいに、従来のアメリカンポップスとは


アプロ-チが違っていてマスタ-するのに戸惑う事も多かった


ドラムスもベ-スも同じ事が言えたのである


この貴重な体験が、後の僕の音楽の最大の支えとなり


また、時代の変化の中で逆らえない荒波に、もまれる事もあったが


そんな時の心の誇りでもあった


 

*画像はダウンタウンズ最後のリサイタルとなったステ-ジで


 M君が歌うプロコル・ハルムの「青い影」


 僕はこの曲では有名な「オルガンソロ」をキ-ボ-ドで弾いた


 3回目のリサイタルをもってバンドは活動に終止符をうつ


 2回のヤマハライトミュ-ジックコンテストで中四国代表に


 その間、山口県の岩国市米軍キャンプ、広島市内のディスコや


 ライブハウスに出演しながら4人の青春の日々を送った


       2024年 7月26日  拓郎