TAKURO YOSHIDA
menuclose

ラジオの青春

こうやって昔の写真を引っ張り出して眺めていると


その頃に感じていたであろうリアルタイムな感情が・・ちょっと揺らぐのだ


人間は本当に勝手な生き物なのだな!と我ながらタメ息が出る


 

 

前回のペ-ジで書いたように、1人のミュ-ジシャンに立ち戻る事を決意し


これからの自分には「もはや重い荷物」となりそうな過去を切り捨てながら


半歩ずつ歩き始めていたシ-ズン


Live活動は自分なりに納得できるバンド編成や内容だったし


アルバム作りもツア-メンバ-がメインとなってのスタジオワ-クだったので


ほぼ思い通りの作品が次々に生まれていて、その事に関しては・・むしろ好調でもあった


 

ミュ-ジシャンにとって最も大切な、この2つのポイントはOKだったわけだから


「他に何が不満だ?」という事になるかも知れないが・・


残念ながら・・僕1人が孤軍奮闘する限界も存在していたのだ


僕たちが「音楽を作る・演奏する」この事については


そこに選ばれたミュ-ジシャン同士で責任を持ってゴ-ルを目指すのだが


「では・・いつ・・どこで・・のべ何回」などの事案を「現地と調整する能力」つまり実務


ステ-ジ上のPA、照明スタッフの選定、パンフレットetcの製作・・


その他・・実に多くの場面で行動力とセンスが問われるのが実務である


それ等を企画、制作、提案、実行に導く「リ-ダ-シップ」が絶対条件として必要となるのだが


 

僕は、当時これが実に不満であった


おまけに無用とも思える単発テレビ番組(クイズ番組・ト-ク番組)への出演


そして「え~っ?俺が~?」というCM・CFへの起用


ある時「書きとめてあるエッセイが沢山あるから1冊の本として出版しないか」


という僕の提案に「今の時代はエッセイ集なんて・・・・」と反論


後に某出版社と酒の席で、この事を話したら・・「何を言ってるんですか・・今すぐにでも


やりましょうよ!」とのリアクションで・・さすがの僕も心が冷えきってしまった


 

1990年代の後半


つまり、あの番組「love2あいしてる」が始まって当初は僕も


「しばらくはツア-なんてやりたくない」と心に思っていたのだったが


若い連中との時間が増えるにしたがって・・彼等に「ただのジジイじゃあ-ねえんだぞ!」と


・・まあ・・エエカッコ・・したくなり・・番組メンバ-のlove2オ-ルスタ-ズとのツア-を決意した


そして、その頃、上記のマネ-ジメント関連も「古きは一掃され」


僕の周りは「すべてが新しい旅を共に進むチ-ム」で笑顔と熱気に溢れていたのだった


 

*画像は河口湖にあったレコ-ディングスタジオで愛車BMW320iオ-プンで遊ぶ僕


 全国ツア-中に、この車で四国までドライブした事があった


 大変な道程だったが実に楽しいツア-となった


 四国は移動の便がそんなに良くないけれど、逆にその間の移動が本当に楽しいのだ


 各県の県境には必ずの絶景が待っていて、しばし休憩と軽食が大いに楽しみだった


 四国のイベンタ-(今は、そうは言わないのかな?)「デュ-ク」の宮垣君とは


 四国滞在中は良く飲んだ・・いっぱいのエピソ-ドは宝物である


        2024年9月20日  拓郎