TAKURO YOSHIDA
menuclose

ラジオの青春

「タムジン」という名前をご存知・・ご記憶の方は多いと思う


CBSソニ-移籍後から今日まで、実に多くの画像を撮り続けてくれた親友である


始まりは・・多分・・浅川マキとのジョイントコンサ-トの宣伝用ポスタ-撮りだ


あの頃、浅川マキと言えば、僕からすれば泣く子も黙る有名シンガ-であり


多くの先輩達の中でも大いに気になるア-ティストだった事は間違いない


このジョイント企画を、当時の僕の置かれていた環境から考えると


吉田拓郎サイドから発案するはずが無いし、時代背景からしても、あり得ない


彼女サイドから出た企画だったという事なのであろうか?(詳細はわからない)


 

撮影は横浜か?・・いずれにせよ「どこかの埠頭」だったのを覚えている


風の強い港のような場所での撮影だった


浅川マキはおなじみの黒装束?で・・あの真っ黒のドレス風な衣装が


妙にあの場所に合っていたような記憶がある


僕は・・どんな衣装だったか・・覚えていない・・し・・あの頃、ポスタ-撮りだからと言って


わざわざ衣装を用意する時代でもなかったから・・たぶん・・いつもの普段着だっただろう


 

実は撮影の、その場所には浅川マキと僕と田村仁(タムジン)の3人しか居なかった


タムジンが事前にマキと僕に「マネ-ジャ-とか連れて来るな」と指示したようだった


時間も夕暮れ時で・・こんな薄暮で「良い写真が撮れっこない」などと僕はグチっていた


(僕は高校時代に写真部にいたので、カメラの露出やシャッタ-スピ-ド等に詳しかった


この事が後にタムジンにウルサク注文をツケル事にもなった)


 

タムジンと言うカメラマンは実にシャイで無口で・・もう文句なしに70年代っぽい


あの時代のために生まれて来たような人間である


もちろん彼は、つい最近まで現役のカメラマンとして活躍し続けたが


あの独特の雰囲気は・・まぎれもない!あの時代を背負っているかのような人物なのだ


 

また彼は料理人としても素晴らしい腕の持ち主で・・僕が良く飲んでいた時代・・


フォ-ライフ設立後・・何かと苦心の日々が多く、夜は1人で乃木坂あたりで飲んでいた


そんな頃タムジンは、とある中華レストランで手伝いみたいな事をやっていて・・


僕はその店に毎晩のように寄っては、実に美味い彼が作る麺類を食べていた


 

長い長いタムジンとの撮影現場でのエピソ-ドは、そう簡単には語り尽くせないが


例えば鉄道のレ-ルが走る景色を背景に彼が僕に注文を出すのだ


「タクロ-ここをアッチへ走って行ってよ」「おやすいご用だ」と走って行く僕


「タクロ-!レ-ルの上とかに乗ったりしながら走ろう」「OKまかしとけ」と僕


「タクロ-!レ-ルには乗らないで下の石の上をたのむ」「なるほど了解だ」と僕


「タクロ-!あっちからこっちへ走って来よう」「あ-それもいいかもな」と僕


「タクロ-!タバコ持ってるか、くわえたままで歩いて」「うん?タバコかOK」と僕


「タクロ-!タバコくわえて走ろうか」「え?くわえタバコで走る?」と僕


「タクロ-!タバコは要らないから両手を大きく広げて」「あ-酸素を吸うのね」と僕


「タクロ-!・・・・」


「ウッセエなあ-!ここはもう飽きたよ、ここはもうカット!次の場所へ移動だあ~!」


 

タムジンが好きな「画像の背景」というのが存在するように思う・・それは


1:僕の後ろに木の壁や土壁などがあって、そこにツタがからまっている場所


2:後ろがグ-ンとひらけた場所で僕以外には障害物などが無い所


つまり、この2つの両極端なパタ-ンに僕を立たせたり・歩かせたり


そんな時のタムジンは実に嬉しそうにシャッタ-を押し続けるのだ


70年代から今日に到るまでの彼とのセッションは数え切れないけれど


だが・・少なくとも渋谷や六本木の雑踏を背景に撮影をした記憶は


・・・・・・・・・・無い・・・・・・・・(大笑)


 

*画像はNHK特番に出演した時のタムジンと僕


 次回は上記した証拠物件のような画像を掲載します