TAKURO YOSHIDA
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ラジオの青春

初めてのアメリカだった


ロスアンジェルスでボブ・ディラン&ザ・バンドの全米ツア-と聞いて


「これを見逃すようではボブ・ディランのファンだなんて大きな声で言えない」


な-んて・・考えたか・・どうか・・ともかく友人たちの強い誘いもあって


あんまり好きとは言えない長時間の飛行機旅を決意した


 

あの頃・・どうだったんだろう?羽田とL.A間は10時間以上はカカッタのでは?


ファ-ストクラスやビジネスクラスで行けばもう少しは楽だった?のに・・


チケット手配した者ですらが海外の経験の無い人物だったので


エコノミ-クラスでの長時間は実に疲れた事を覚えている


機内では一緒にコンサ-トを観に行く事になった某音楽事務所の社長が


奥さまが作ってくれたというオニギリを皆んなに振る舞うのだが・・


エコノミ-とは言え機内食とかで、その気(米国旅)になりたい我々としては


初の海外旅行の飛行機内で手製のオニギリが、なんだか遠足みたいでシラケタ(苦笑)


 

初めてのアメリカは毎日がドキドキの連続で、早朝から深夜まで遊び回った


当時は、まだ人種差別的な空気が色濃くあったので、白人中心主義からすると


我々はカラ-ドというククリに入っていたようで、夜の街のバ-等へ入る時も


白人オンリ-の店ではチョット居心地が悪いが、逆にカラ-ドと書かれた店では


黒人と一緒に楽しくアルコ-ルを飲み、見知らぬ同士がブロ-クンで意気投合した


(生まれて初めて体験する肌の色による差別に大いなる怒りもおぼえた)


 

ある夜、バ-で知りあった黒人客の誘いに乗って、彼の自宅へ案内されて


驚きの体験をした・・(詳しい事はここでは言えない)


また翌日は乗ったタクシ-の運転手に「ワン・ダラ-・ガイドするかい?」と聞かれ


我々全員が「ワン・ダラ-・ガ-ル」との聞き間違いで・・


ハリウッドスタ-達の高級邸宅が並ぶビバリ-ヒルズを1周しながら


「ここにプレスリ-の別荘が、ここがフランクシナトラの家で


こっちがスティ-ブマックイ-ンの邸宅で・・・」と我々4人から1ドルずつ巻き上げ


まさにワン・ダラ-・ガイドであった


見事なまでの「オノボリサン」状態でのアメリカ初体験だった


 

ボブディランとザ・バンドのコンサ-トはロスアンジェルス・フォ-ラムという


ド-ム風の会場で行われた


時代が時代だったから、会場は開演前から「例のタバコ」の匂いに包まれる


異様な盛り上がりの中・・ディランとバンドがステ-ジに登場


ナンと!ステ-ジ中央のマイクではなく、ややセンタ-から外れた位置のマイクに


ディランが立ち歌い始めた


ステ-ジセンタ-にはザ・バンドのギタリスト、ロビ-・ロバ-トソンが立つ


このセッティングには驚きと同時に感激と興奮を覚えた


(後に青山・浜田たち愛奴との全国ツア-で、このセッティングを真似た)


 

初めてこの目と耳で体験した、憧れのボブ・ディランとザ・バンドは素晴らしかった


特にザ・バンドとは、僕の日本国内ツア-が企画されていただけに


誰にも理解出来ないであろう悔しさが胸にひろがった


と同時に強く心に言い聞かせた


「いつか、そんな拓郎色に染まったバンドを作り上げ全国ツア-に出る」


ギタリストの青山とは彼が愛奴を去った後から


僕の作曲する他の歌手への提供曲のレコ-ディングにギタリストとして


スタジオ参加してもらい、そんな機会を繰り返す毎に僕の夢を語り


理想とするバンドの結成を目指したのだった


 

*画像は初のロスアンジェルスの街でのワンカット


 電柱?にボブディランのコンサ-トのチケット情報が貼ってある


        2024年 8月13日  拓郎