TAKURO YOSHIDA
menuclose

ラジオの青春

まだ単独での全国ツア-は日本では誰も行っていない


今でこそ当たり前の全国ツア-を誰も発想したりしていない季節


 

とにかく僕達はラジオでは楽曲をオンエアしてもらえるのだが


生の演奏・歌を関東以外のファンに届けるには旅に出るしかないのだ


そして主な移動手段は上野発の夜行列車であったり・・・


キャパシティ-400くらいの公民館などでも、歌う場所があるのなら行く


それが当然の行動と信じて旅を続けた


 

現地の会場に備え付けの音響システムと舞台照明を使ってのステ-ジだから


その日その日で全く環境が違う事が多く、演奏する僕達の戸惑いは大だった


僕など弾き語りメインのシンガ-達は、マイクはギタ-用とボ-カル用に


2本用意されていれば「音色がどうの音量がどうの」と文句を言わなければ


何とかなる・・が・・2人組とかそれ以上の人数のグル-プの場合は


場所によってはマイクの数が足りず・・それでも何とか・・と言う現状だった


 

コンサ-ト終了後は例えば青森県ではコンサ-ト終了後


会場を夜9時過ぎに出て青森駅の前にあった居酒屋で時間をつぶし


夜の11時前後だったか?青森発の上野行き寝台列車で東京へ帰った


つまり青森県を日帰りしていた事になる(今、考えてもすごいスケジュ-ル)


 

この時代、沢山の印象深い旅の想い出がある中の1つで


ある日「猫」の連中と(まだ彼等の「雪」が売れる前かな?)


山陰地方の、その日の会場となる公民館へ向かった


真冬だったので寒くて、楽屋には木炭スト-ブが置いてあった


リハ-サル中に気がついた事、この会場は観客が床に直に座る形式で


いわゆるイス席は無く、例えば国技館の桟敷での相撲見物みたいな


「かなり親密な関係で歌う事になるのだな」と予想は出来ていた


しかし、もう一つ、ちょっと戸惑ったのは・・


この会館では、僕達シンガ-がステ-ジに出る時に


靴を脱いでステ-ジへ上がる!という規則があった事だ


冬だったので靴下を履いているし、それに・・まあ・・


ステ-ジ経験者の勝手な言い分かも知れないが・・


ソックスを履いたままで、シュ-ズ無しの状態ってのは・・


なかなか歌を唄ったりギタ-を弾いたり・・そういう気分になれない(笑)


音楽にノリにくいファッション形態なのだ(涙)


かと言って・・まさか真冬の板張りのステ-ジに裸足ってのも・・どうよ!


 

「猫」がステ-ジを終えて、出番を待つ僕に耳打ちした


「タクロ-!客席でミカン食ってる女の娘がいるよ!それに・・


なんだか見た事のあるモノが客席の真ん中に置いてあるよ、アハハハ・・」


 

僕は割れんばかりの?歓声に迎えられてステ-ジへ「裸足で」上がった


「コンバンワ-吉田拓郎です!わざわざ来てあげたのは僕の方です!


さっそく1曲目やるね」と「もう寝ます」を弾き始めて、チョット客席を見た


「あ!ホントだミカン食ってるよあの娘たち・・」そして・・さらに・・


狭い客席の真ん中あたりに何やら見覚えのあるモノが・・・


「なんだ!あれは?なんか見た事あるぞ・・あれって・・そうだ間違いない」


それは・・・ガキの頃に・・・我が家にもあったアレ!


・・・なんと・・・火鉢が・・・置いてあったのだ・・・・なつかしいな-


 

*画像はどこか遠いロ-カル線の駅に到着したばかりの僕


 この時代は楽器も自分で列車に持ち込み、自分で会場まで手持ちで


 運んでいた(マネ-ジャ-氏は居る事は居るのだが・・)


 そしてラジオの公開番組での出番を待つ僕の周りに


 若いファン達が集まるようになっていた


 僕自身も自分が認められつつある実感を感じていた


    2024年8月5日  拓郎