TAKURO YOSHIDA
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ラジオの青春

高校2年生の時だったか・・音楽の時間で担当の女性教師から


「あなた方の1人1人に、もしかしたら存在するかも知れない


作曲能力をチェックしたいと思います」という宿題が出された


当時のアメリカンポップスに魅せられていた僕は


ニ-ルセダカの「カレンダ-ガ-ル」リッキ-ネルソンの「ヤングワ-ルド」


デルシャノン「悲しき街角」ディ-ンマ-チン「ライフルと愛馬」


コニ-フランシス「バケイション」ヘレンシャピロ「悲しき片想い」


などのヒット曲のコ-ド進行をすでに把握していたので


家に帰って「G・Em・Am7・D7」の循環コ-ドを使って


簡単なメロディ-を作り五線紙に書いて翌日提出した


教師がピアノでこの曲を弾きながら「あ-吉田君!素晴らしいわね」と


クラスメイトの前で褒めてくれた


僕は内心は「あ!これって・・パクリなんですが・・」という本音もあったが


(当時パクリという言葉は存在していない)


級友たちの誰一人としてアメリカンポップスなんて聴いていない?・・


という確信めいたものもあったので・・「知らんぷり」を決めたのだった


 

その頃、日本にはロックとかポップスというジャンルはまだ存在せず


英語で歌えば「ジャズとかシャンソン」等のジャンルに入れられていた


ヒット曲と言えば歌謡曲の独壇場だったから


若者達でさえが演歌風な歌を昼休みなどに口ずさんでいた時代なのだ


 

僕は夜ごとのエアチェックとFENからの情報で


アメリカではどんな曲が若者に人気なのかをつかんでいた


そして東京から聴こえてくる人気曲のベストテン番組に


「リクエストハガキを出してみたい」と思うようになるのだ


ラジオの番組に「参加する」という第1歩が近づいていた


*画像は高校時代の僕


   2024年7月8日 拓郎