TAKURO YOSHIDA
menuclose

ラジオの青春

 有楽町、旧ニッポン放送の正面入り口の少し横のあたりに駐車する


 オ-ルナイトニッポンへは自分の車で向かっていた


 夜9時頃にスタジオインしていたので、あの頃は駐車違反なども


 取り締まりが柔軟だったようだ?


 

 生番組が終わり、午前3時半頃に外へ出ると


 毎回、数人の「デマチ(出待ち)」がいて・・時には車で僕を追走する人もいた


 そんな時、必ず使った手段は・・


 霞が関から高速道路に乗って、深夜なので走っている車も少ないから


 高速を暴走して(いけない事である)ふり切っていた


 あの頃の有楽町のスタジオは雰囲気のある


 まさにオ-ルディ-ズな空気が流れていて僕は好きな場所だった


 

 そして後年に社屋が改築される事になり、スタジオは「お台場」に移動したが


 僕はワガママを言って、有楽町の誰もいない古びた昔のままのスタジオで


 ANNデラックスという番組収録を続けさせていただいた


 当時「お台場」という場所が何故か(僕の第1フィ-リングで好きじゃない!)


 という理由でディレクタ-のK氏が頑張って、もはや使う事の無い有楽町の


 旧スタジオでの収録を可能にしてくれた


 しかし、何しろもう全社員スタッフがお台場へ引っ越した後の社屋である


 人影の無いビルは全体に薄暗くて少し不気味でもあり


 そしてトイレも清掃がおろそかになっているから「匂った」(苦)


 また秋から冬の期間になるとナンと!暖房が効かなくなるのにはマイッタ


 だから番組中もぶ厚いダウンコ-トなど着たままでの収録だった


 (石油コンロを置いた日もあったなあ)


 

 有楽町の旧スタジオで忘れられないエピソ-ドは


 1997年12月ゲストに女性4人組「マックス」を呼んだ夜


   ナンと!ラジオでは・・あるまじき・・スタジオで「鍋を囲んで」の


 愉快なト-ク!をやったのだった


 ラジオ番組で「湯豆腐鍋」やりながらの収録は後にも先にも、これ1回!


 

 番組収録後は必ずゲストもまじえての打ち上げだった


 その席で僕は必ずディレクタ-のK君をやり玉に上げてイジルのが楽しかった


 まさか、後に彼が会社の重要ポストに昇進するなんて思っていない


 もちろん、それがわかっていたら僕だって彼にオベンチャラを使って


 ゴマをすったはずである(・・・出来たかなあ~???)


 最近も、時々ニッポン放送地下のレストランで彼とビ-ルする時がある


 もちろん僕は、あの頃のように「おい!K!」と呼び捨てにする事はない


 丁重に「そうですよねKさん」と穏やかにお話させていただくのだ(汗)


 当時の番組ディレクタ-K氏は現ニッポン放送の常務取締役である


 

※画像は旧ニッポン放送社屋の入り口と


 その時代にスタジオインする、車に乗った僕と


 後年に、誰もいなくなった有楽町スタジオで湯豆腐するマックスと僕


 残念がらマックスの表情は見えない


        2024年 8月16日  拓郎