熊谷卓哉、Kamerian.、神出謙、サルチョードイル、Frank Jimin Hopp、金谷真明らとともに、「Know-mad Toy(架空の玩具屋)」を主題とした展覧会を開催します。
本展では、展示において説明や意味づけを先行させるのではなく、直感的にふれること、身体で感じることを大切にしています。玩具屋という空間がそうであるように、目にした瞬間、理由もなく惹かれ、思わず手を伸ばしたくなるような感覚——そのような体験の導線が、ひとつの入り口になると考えています。
いまの社会では、物事に意味を求めすぎるあまり、「信じる」という行為そのものが難しくなっているようにも感じます。信じることが、説明によってではなく、共鳴や余白、沈黙のうちにこそ芽生えるものだとすれば、私たちはその感覚からずいぶん遠ざかってしまっているのかもしれません。だからこそ、まずは言葉を手放して遊んでみよう——そんなささやかな問いかけを、この展覧会の根に据えています。わからないままに何かを楽しむということ、それ自体が、いまの時代における小さな“信じる”行為なのかもしれません。
かつて玩具は、ただの遊具ではありませんでした。人類のさまざまな文化において、土偶や人形、ミニチュアや仮面といったものは、神や見えない存在とつながるための道具として使われてきました。そこには、説明を超えた何かを信じる態度が確かに宿っていたのです。
玩具とは、意味のないものではなく、むしろ世界と関わるための最初の言葉以前のメディアだったのではないか。そして遊びとは、言葉にならないまま交わされる、もっとも原初的なコミュニケーションなのではないか。本展は、そのような“あそび”の中に、静かな信と知の可能性を見出そうとする試みです。
ことばを超えて、ふれること。わからないまま、楽しむこと。そして、意味ではなく、空気や気配を信じてみること。そんなやわらかい場が、この空想の玩具屋を通して立ち現れてくれることを願っています。
【Marco Gallery】
Marco Galleryは、芸術を「問い」として開く場でありたいと考えています。
大阪を拠点とするこのギャラリーは、展示空間であると同時に、作家と観客、思想と物質、個と社会のあいだに生まれる「ずれ」や「ゆらぎ」に静かに耳を澄ませるような場所でありたいと願っています。
現代においては、美や価値、信じるという行為そのものが揺らぎの中にあります。そうした中で、アートが「不可視なもの」や「語りえぬもの」に触れるきっかけになり得るのではないかと、私たちは考えています。
Marco Galleryでは、立体・平面・映像・パフォーマンスなど、ジャンルを横断する多様な表現を紹介しながら、作品の背後にある問いや思索に光を当てていくことを意識しています。
また、アートとファッション、都市と自然、リアルとフィクションといった異なる領域の交差点に立ち現れる実験的な試みにも関心を寄せています。
この場が、訪れる方々にとって、なにかしらの感覚の羅針盤のようなものになれば幸いです。