TAKURO YOSHIDA
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ラジオの青春

**このエッセイ「ラジオの青春」は今回のスペシャルミニアルバム「ラジオの夢」を作るにあたって


 その歌詞を書きながら「あの頃を思い出す作業」を続けるうちに


 「そうだ!長い間、僕の音楽を愛して続けてくださった人達に、こんな形ではあるけれど


  何らかのメッセ-ジを届けよう!」と思いたった


  「エッセイ集」を出版しないか?というお話もいただいていたのではあったが・・お断りして


  こうした形でオ-プンにする方向を選ばせていただいた


  人生は始まりの時が「記憶に無い」ように、終わりが来る事も「拒む」ことは出来ない


  貴方という人間が生きた一生も、僕と言う人間の生きた道も、いずれ空気となって天空を舞う


  どれだけ熱く生きたとしても、どれだけク-ルに愛したとしても・・・


  答えはボブ・ディランが言ったように「風の中」だと・・僕も、この頃やっと・・感じるようになった・・かな


  そして、それこそが「私たち」という愛すべき存在である!と確信するのだ


  この連載エッセイも、あと少し「むだ話」を書いてみようと思っているが


  近日には終わらせていただく事にしたい


 

 

  実は・・書きながら、ついつい笑顔になれる毎日で「楽しい日々」であった事を、お伝えしておきたい


 

 

   ・・で・・オマエ・・これか・・ら・・?・・?・・・・・アハハ!それは・・僕にも・・ワカリマセン


  だってねえ・・一生懸命に生きたつもり・・なんだけど・・予定通りだった事って・・・・どうなの!!**


 

 

そもそも音楽への長い道・旅を始める「具体的な」キッカケと言えば、何と言おうとビ-トルズなのである


あの4人の若者が、この地球上に登場していなかったら・・多分、いや、間違いなく!断言出来る!


僕は「ここ」に居ないだろうし、こんな「独り言エッセイ」を毎日セッセと書いたりしていないのだ


あの4人の登場が「すべて」なのだ


 

4人だけでギタ-・ベ-ス・ドラムを各自がフォロ-し


ボ-カルも4人が持ち回りで歌い、しかもハ-モニ-も付けてしまう


なおかつ、その楽曲は自作の作詞・作曲である


それまでアメリカのポップスと呼ばれていたロックンロ-ル等のヒット曲は


歌うのは歌手で、演奏はバックミュ-ジシャンが・・というスタイルが一般的だった


4人組とかのコ-ラスグル-プは居たが(ザ・プラタ-ズ他)皆んなボ-カルonlyで楽器演奏はしなかった


ビ-トルズは違った!全部を4人だけで「やってしまう」・・何というアイデアだ!


アメリカンポップスに浸りきっていた僕が、まず「あ!そうか!ギタ-だけでやっちゃうんだ」に驚愕


ステ-ジ上でのLive演奏時には「キ-ボ-ド奏者は要らない」というシンプルなスタイルだ


なるほど!ドラムが後ろの少し高い位置に座り、その前にベ-スとギタ-が並んで演奏し


歌う時にマイク前に立つ!これだけでカッコイイではないか


もし、キ-ボ-ド奏者が居たとすると、彼は歌う時もバックで演奏に専念する時も


客席からは・・視界的にもハンデがあると言うわけだ


だったら、いっそのこと・・それに・・キ-ボ-ド楽器(当時はシンセピアノ等が無い時代だ)は


ステ-ジに設置するだけでも手間がかかる、ましてやツア-に運ぶ・・なんて・・である


あの4人はレコ-ディングではキ-ボ-ドを使うとしても、Liveでは2本のギタ-とベ-スと


自分達の発するvoiceで、すべてをまかなうアレンジにして見せてくれた


 

ビ-トルズ登場は僕が広島で高校生の頃だった


その頃は、まだリバプ-ルサウンドなんて言う言葉も聞いた事が無い


アメリカンポップスに夢中で、僕のアイドルはリックネルソン、ニ-ルセダカ、デルシャノン他


恋心をくすぐっていたのはコニ-フランシス、シェリ-フェブレ-、ジョニ-ソマ-ズ達で


イギリスという国に興味を持った事など無い時代だった


アメリカっぽい青春(ただ漠然となのだが)への大きな憧れが頭の中を支配していたのだ


 

その頃、中学時代の同級生で高校は僕とは違う学校へ進学した友人達がベンチャ-ズやサファリ-ズの


EP盤を買ってはコピ-してバンドで演奏する事を始めた・・ここが全ての出発点だったかも知れない?


しかし彼等とは学校も違うし日常も共にして居ないので、僕がバンドとかエレキギタ-に興味を持つのは


まだまだ後になるのである


それに、その頃は写真部に入部して画像を自分で現像し編集するという・・まあ・・どうなってるんだ・・的な


高校生だったので、音楽への情熱の「かけら」も感じられない平凡な高校生だったと思う


下級生のS・Jさんに恋心を抱きつつ・・ふられっ放しで・・ニキビで顔が真っ赤だったし・・


ともかく「イケテナイ」高校生の代表みたいな男の子だった事は間違いない


 

 

そして、そんな「ダッセ-高校生」の僕が、そのダッセ-世界から「脱出する手段」としての「生きるヒント」を


ビ-トルズの登場が示してくれたのである


もう「これっきゃない!」と・・きっと、この高校生は思ったはずである


(世界中のダッセ-若者たちが、きっと同じ夢を見はじめた・・そんな時代の始まりだった)


 

ビ-トルズ革命は、音楽にとどまらず、あらゆる若者文化に道すじを示してくれたと思う


ファッション・言葉づかい・大人への発言・社会の古い常識・・何もかもが彼等の言動で変わって行った


「私たちは私たちの文化を作って進んで行くのだ」という4人の若者によるアイデアが


いかに当時の私達にとって「素晴らしい提案」であったかは・・歴史が証明している


 

  *画像は「僕達にも出来る」をテ-マに集まった


   僕にとっての音楽の出発点ザ・ダウンタウンズ時代の吉田拓郎


        2024年10月8日  拓郎