TAKURO YOSHIDA
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ラジオの青春

コロンビアフォ-クソングコンテスト中四国予選大会に参加した


結果は僕の予想通りの大学生グル-プが1位・2位に選ばれた


そして審査員の特別推薦という枠が設けられ


神奈川県逗子市の逗子マリ-ナで開かれる決勝大会に


僕も出場する事になってしまった(マジで予想外だった)


ところが、この決勝大会でも僕は3位入賞という事になる


(ともかく1人でギタ-の弾き語りスタイルは珍しかったのだ)


*これも何か運命的なスト-リ-という事になるのだろうか?


 僕は妻の佳代とその母と3人で後年に逗子に住む事になるのだ*


 

3位までの入賞者には主催者であるコロンビアレコ-ドから


特典でスタジオでのレコ-ディングが用意されていた


コンテスト翌日に赤坂のレコ-ディングスタジオに招かれたのは


1位と2位のグル-プと僕だった


(僕のあやしい記憶力でそのバンド名を思い出してみると・・


1位がベ-クランド・カルテット、2位はフ-ツ・エミ-ルという


2組だったではなかろうか・・そして後者は後の「赤い鳥」では??)


2組とも僕がその場で驚くほど場慣れしていて


演奏もコ-ラスもとても上手かったのを覚えている


さて・・僕はと言えば・・何しろフォ-クというジャンルへの知識も


本格的なスタジオでのレコ-ディングという体験も無いのだ


我ながら恥ずかしさと未熟さを身をもって味わう結果となった


 

だが、この体験をキッカケとして僕はフォ-クソングも含めての


「音楽の道」に何らかの自分の未来が見えて来るような気分を感じ初める


まだ何も具体的ではないのだけれど・・音楽をもっと追求したいと


 

そしてつくづく思ったのは東京とロ-カルとのプレイの力量差だった


アマチュアとは言えコンテスト決勝での1位2位グル-プは


本当に上手かった!同じようなグル-プは広島の大学にも沢山いたが


とにかくテクニックという事ではかなりの差があった


アメリカンフォ-クミュ-ジシャン達のテクニックをコピ-するには


当時とすればアナログLP盤が唯一の教師なのだが


広島のレコ-ドショップで入手するには限界もあった


そんな時、求める楽曲がラジオでオンエアされる事は大いに有り難い


ただ、しかし、ここでも地方に住む僕達にはハンディがあったのだ


この事は先にこのエッセイで触れたが、東京とロ-カルでは


ラジオでの音楽番組の内容があきらかに違う、時差のようなもので


その違いによってロ-カルに住む僕等は「音」による情報が少ない中で


楽器・演奏・歌などをコピ-するのだが、豊富な情報量の中でレッスンした


人達には及ばない事になってしまう


 

ある日、意を決して母に話した「俺ねえ、大学を1年休学して東京で自分の


可能性に挑戦してみたいって思ってるんだよ」


「それでアナタ何がやりたいの?」


「これからもっと沢山の曲を作って歌ってみたくなった


それを東京という場所で勝負してみようかって思うんだ」


「1年間の休学って・・じゃあ1年でダメだったら大学へ戻るって事なの?」


「うん、俺の性格からしても、そうだし、それにこんな挑戦って


1年でダメなものは5年も10年も頑張ったってダメだろうって思うんだよ」


「その1年でダメなら潔くやめるって事を私と約束してくれるのなら


私はアナタを応援する側に回りますよ」


 

当時広島カワイ楽器店店長はOさんという千葉県出身で学習院大卒の


エリ-トだったが、大変に音楽を愛する人物で僕達のバンド活動や


ギタ-教室などに積極的でバンドのメンバ-から「兄貴」と慕われていた


僕は、ある夜Oさんを楽器店横のバ-へ誘って決意を聞いてもらった


「そうなのか!拓郎君、いよいよトライしてみますか!


だったらね、僕がいい話をしてあげよう・・


僕の実家が千葉なのを知ってるよね、千葉の検見川って所で我が家は


お寺なんだよ!今も僕以外の家族全員でお寺を守っているんだ」


「あ-・・なんか・・店員の人から聞いた事あったなあ・・ホントだったんだ」


「君は東京とか千葉の地理や位置関係なんて知らないだろうけど


千葉から東京は電車で1時間弱くらいで行けちゃうんだ


僕が居た頃より今はもっと早いと思うから・・


つまり・・何が言いたいか?と言えば・・君は今回の挑戦を


千葉の我が家に無料でイソウロウしながら東京へ通うという日常・・


この提案を素直に受け入れなさい!東京に1人で住むとなると


何かと経済的に負担が大きくて、君だけでなくご家族も大変だと思う


君は出来るだけ誰にも迷惑をかけないで、自分の信じる音楽の道を


進むべきだと僕は思うんだよ」


 

*画像は千葉の検見川という町に居候時代、半年くらいだったが


 お寺の本堂の横にあった8畳くらいの畳の部屋に居候させてもらった


 朝晩の食事はご家族と一緒にいただき大変に良くしていただいた


 毎日2chのテ-プレコ-ダ-に多重録音で曲作りをして


 完成するたびに東京の赤坂のレコ-ド会社に届けていた


     2024年7月22日  拓郎