TAKURO YOSHIDA
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ラジオの青春

僕が高校生の頃、東京ではハガキでのリクエストによる


アメリカンポップスのベスト10的なラジオ番組が


いくつか存在していたと記憶する(多分1つか2つ)


残念ながら僕の住む広島では、まだその種の番組は無かった


しかし東京の「どこの放送局」でオンエアしているのか?


という事には特別な関心も無かった


東京にニッポン放送、TBSラジオ、文化放送etcという放送局が


存在する事すら知らないし・・まあ興味も無かった


後に自分自身が深いお付き合いになろう、などと考えてもいない


 

時々、番組が聴こえなくなる最悪の電波状態の中で


何より「東京の同年代がリクエストする曲」に興味があった


それは岩国FENで毎日オンエアされるビルボ-ドTop10とは


ちょっと違うランキングだったような気がする・・・


例えばヘレンシャピロはイギリスの10代の女性シンガ-で


「子供じゃないの」「悲しき片思い」は本場イギリスと日本で


大ヒットし日本では弘田三枝子がカバ-してこれもヒットした


しかしヘレンシャピロがアメリカのビルボ-ドでTop10ランク


したという記憶は僕には無い


日本では、こういう音楽状況がしばらく続くのだ


イタリアのカンツオ-ネ(ボビ-ソロの頬にかかる涙)や


フランスのフレンチポップス(ジョニ-アリディ-やシルヴィ-バルタン)


等は現地と日本では大ヒットするのだが


アメリカのチャ-トでベスト10に入る事は無かったと思う


 

そして例えば日本では白人ポップ歌手の歌う曲に人気が集中し


本場アメリカのチャ-トでダントツ1位の曲でも


ロネッツ「ビ-マイベイビ-」リトルエヴァ「ロコモ-ション」など


黒人R&B系シンガ-の歌う曲には反応が遅かった


 

僕はディ-ディ-シャ-プの歌う「マッシュポテトタイム」を


FENで耳にした瞬間に気に入り、部屋で踊りながら


「この曲を東京の番組でランク1位にしたい」と思いはじめる


ある夜のこと・・例によってイヤホンを片耳に突っ込んで


鉱石ラジオのダイヤルを廻しながら番組を探していた


当時の日本のロカビリ-ブ-ムのスタ-達が


(後に高名な作曲家へと変身する平尾昌晃など)


今で言う「パ-ソナリティ-」を担当する番組がいくつかあった


それ等の番組に片っ端からハガキでリクエストする作戦を


思いたった夜があったのだ


「広島市霞町の吉田拓郎さん・・他のリクエストで今週の第1位は


D・Dシャ-プの歌うご機嫌ダンスナンバ-!マッシュポテトタイム」


というアナウンスを聴きたくなったのだ


 

*画像は大学1年の頃


この後R&B系ロックバンドを結成し、そのリ-ダ-であり


僕のオリジナル曲作りに多大な影響をもたらした盟友


広島大学政経学部の睦月君と僕との2ショット


ガ-ルフレンド同伴で海水浴へ行った時のスナップと思われる


睦月君と僕はアメリカンポップスとガ-ルフレンドに関して


バンド解散の日まで熱い気持ちが一致していた・・冥福を祈る


   2024年7月15日  拓郎