――改めて2015年を振り返ってみたとき、その中心にあったのは間違いなく『eternal flames』というアルバムでしたよね。ソロ10作目という大きな節目にあたるものでもあったわけですが、作品自体についての感じ方というのも完成当時とは違ってきているのではないでしょうか?
J: そうですね。こうしてあのアルバムのツアーをまわってきた今現在は、できあがった当時以上に作品としての大きさを感じているというか。10枚目ということで、あらかじめ自分に課していたものというのもそれまで以上に大きかったし、自分自身の音を鳴らしたいという思いがより強くなっていた。そういう気持ちが常にあるからこそ、何かを作っては壊し、また新しい何かを試しては壊し、というようなことを繰り返してきたわけですけど。当然、そういった過程のなかで生まれてきたものであるのと同時に、それを透かして見てみたときに、これまでの10枚、17年間というものが見えてきたし、これから進むべき方向というのも見えてきた。あくまでひとつの作品を作るという感覚で突っ走ってはいたんだけども、実際にそのアルバムをひっさげてツアーをしてみたとき、自分自身が思い描いていたよりも遥かにすごい熱量が会場を渦巻いていることに気付かされて……。だから、自分自身が思い描いていた音世界みたいなものを10枚目にしてついに手にした、というか。そんな感覚でもあるんですよね。
――最新作だからこそ最新型で最強のものにしたい、というだけではなく、そこに至るまでの道程が感じられるものにしたいという気持ちもあったわけですね?
J: うん。やっぱり最新の何かを求めるにしても、それは自分が進んできた道の先にあるものであるべきだと当然思っていたし、何かをスキップして進んでいくことで最高のものができるなんてことは、まったく思っていないから。ひとつひとつのアルバムもそうだし、ひとつひとつのライヴも、時間もそう。その全部が積み重なったうえでこの10枚目というものがあるはずだ、と思ったからね。そうやってすべてを受け入れたところで、いったいそこから何が見えるんだろう、という感覚。ホントに自分の気持ちを拡げていくというか、そこに用意したキャンバスにバーッと画を描いていくような感覚ではありました。
――なるほど。『eternal flames』という作品タイトルからは、「これまで燃やし続けてきたものを途切れないようにするだけじゃなく、それを永遠のものにするんだ!」というような意思表示も感じられました。
J: 確かに。なんかタイトルに関して思っていたのは……今までも火を連想させるような言葉を使ってきたし、10枚目にしてそれを使わないというのもナンだよな、と(笑)。今までも常に自分自身が求めるもの、つまりそういった燃えあがるような何かとか、熱といったものを表現してきたわけで、「この10枚目に自分自身が灯したいものは何なんだろう?」って考えたときに、ふとそのタイトルが浮かんできたんです。もうベタすぎるぐらいベタな言葉なんだけど、「そのベタなタイトルを今使わないでどうすんだよ?」という気持ちがすごくあった。一枚目のアルバム、『PYROMANIA』で放った炎が永遠だった、みたいなストーリーとして繋がっていく部分もあると思えたしね。これからもその“永遠”ってものを求めていくんだ、というところを自分自身で表に掲げたかったから。
――すごく納得できます。ところでこのアルバムを作るにあたっては、プロセスというか作業の進め方という部分において、それ以前の作品の際とは明らかに違う部分というのがあったわけですよね?
J: そう。なにしろ、ちょうどLUNA SEAが25周年の全国ツアーをまわっていた時期でもあったわけですからね。毎週末、LUNA SEAとして各地に行って、いろんな場所でプレイして。そこで当然のようにいろんなことを感じて、そのうえスタジオに戻ってくるわけです。当然、LUNA SEAは自分にとってのスタート・ポイントでもあるし、いろんなドラマを経てきたわけですよね。それこそ終幕があったり、REBOOTがあったり。そんな中、みんながもう一度集まってまたやり始めるようになり、そして今がある。そういう沢山のドラマがあったなかで、「自分にとって音楽というのは何なんだ?」「バンドというのは何なんだ?」「ロックというのは何なんだ?」みたいなことを考えさせられる時間というのがすごくあったんです。もちろんそれは頭のなかではいつだって考えられることだけど、リアルにそれを自分の身体で感じながら、そのうえで自分自身のアルバムの制作現場に戻ってくるという行程を1年ぐらい繰り返していくと、より明確に俺自身の音楽というものが浮き彫りにされてくるというか、向かうべき先というのが見えてくることにもなるので。
――それはLUNA SEAとしての理想と自分自身としての理想を同時に追い駆けるような日々でもあったはずですよね? そこでの相互作用のようなものもあったのでしょうか?
J: まず、思い描いているサウンドが違うわけですよ。やっぱりプレイするメンバーの顔ぶれ自体が違うので。頭のなかで想像されている音の完成形みたいなものが違うんですよね。やっぱりソロのほうが、自分が思い描いていた画、自分のなかに強く浮かんでくる画がそのまま音としてその場に浮かび上がってくるようなサウンド。だけどLUNA SEAの場合は、自分が思い描いたその画というものを他のメンバーたちにぶつけたときに、変わって還ってきたりするんですよ。で、実はその変化というのが自分としては期待してるし、一つの楽しみなんだけど。もちろん「そっちに行っちゃ駄目だよ!」とか、「そこから先に行くなよ!」というラインは自分でも持っているんだけど(笑)。なんかこう、他のメンバーの解釈というのを自分自身も楽しめている、というのがありますね。
――ソロ活動を通じては、そうやって頭のなかに浮かぶ理想形を具現化する作業を重ねてきたわけですよね。でも、そうやって理想を形にできたと思えた次の瞬間、何かが足りないことに気付かされたりすることがアーティストの皆さんには多いようですが。だからこそ続いていく、ということでもあるんでしょうけども。
J: 何かが足りないことに気付かされるというよりは、毎回毎回、ようやく辿り着いたその場所に新たな扉が待っているという感じ。感覚としてはそのほうが近いかな。アルバムごとに毎回、自分自身で大きなひとつの画を描くようなところがあるわけだけども、その画を描けた人間の目にしか見えない何かがそこでまた見えてくるというか……。たとえば、アルバムを作りあげて、全国各地にツアーしに行って、そこで観に来てくれてるみんなと本音でぶつかりあいながらいろんなことを感じて、最高の時間を共にして……そういう瞬間に見えてくる景色というのもたくさんあるんですよ。その積み重ねが次に向かううえでのヒントになる景色を生んでくれたりもするし。だから……ちょっと誤解を招くような言い方かもしれないけども、本当の意味で言ったら、そもそも俺がやろうとしていたことというのは、多分、1枚目で終わってるんですよね。
――どういうことです?
J: 『PYROMANIA』で終わっているようなところがあるんです。俺自身、当然そうしようと思ってあのアルバムを作ったから。そこについては持論があってね。ものすごいインパクトを残すバンドやアーティストというのは、一発目のアルバムがものすごい威力や熱を持ってたりするじゃないですか。俺も当時は当然、そこまで熱が高まらければアルバムなんか作らないでおこうと思っていたし。そういう熱がそこでなくなってしまう程度なら、その1枚で終わってもいいと本当に思いながらあのアルバムを作っていたんですよね。で、なんかその1枚目の世界観をひとつひとつ掘り下げていくというか、「これはこういうことなんだよ」という感じにいろいろ見せてきたのが、それ以降の各アルバムだったという気がするんです。で、なんかこの10枚目にあたる『eternal flames』に至ったときに、そこで一周まわりきったというか、1枚目を作ったときのような感覚になれたんです。「これが俺なんだよね!」って言い切れるような、絶対的なものができあがったことによって。
――そういう意味においては、あのアルバムは『PYROMANIA 2015』とも呼び得るものだった、ということかもしれません。
J: そうですね。そこからまたさらに始まった第二章というか。自分自身でも、そんなふうに感じさせられることがすごく多いんです。
――変な話、Jさんは毎回、「このアルバムが最後かもしれない」という気持ちで制作に臨んでいるんですか?
J: そうですね。当然そうあるべきだ、と俺は思ってしまうタイプの人間なので。そうじゃないと、なんかこう……理由がなくなっちゃうというか。「じゃあ、あと何枚作ったらこのストーリーが完結することになるの?」という話になってきちゃうじゃないですか。
――ええ。いわば毎回、物語を完結させるために作っているのに、そこに辿り着くたびに新しい扉が見えてくるということなんですね?
J: 結果的に、そういうことになるんです。そのストーリーを終わらすというか。より俺自身を知るために、そういうところに向かって行ってるのかもしれないし。絶対的なその画というのを見てみたいがためにアルバムを作っているのかもしれないな、と思いながらそこに向かって行ってるんですよね。
――これは簡単には終わらない。だけど永遠に続くものでもない。今現在のJさんが立っている場所というのは、これからの人生というものを考えてみたとき、どういった地点にあるんだと思っていますか?
J: うーん、どうなんでしょうね? でも、いつも“終わり”ってものを抱えながら、どこかでそれを意識しながら走ってきてたなと思うんですよ。ソロ活動を始めたときも当然そうだったし、もっと言ったらLUNA SEAを始めた頃もそう。ベースを弾き始めた頃もそうだった気がする。燃えるような思いと、だけど同時に、いつもそれとは対極のものがどこかに存在していて。でも、それがないと多分、走れないタイプの人間なんですよね。で、今の自分がどこを走ってるのかって思うと……不思議ですね、走れば走るほど自分の見たことのない景色が見えてきて、楽しくなっていくんですよね。だからもしも本当にそういう終わりが来るんだとすれば、それは、そこで見える景色が何も変わらず、何も見えなくなってくるような瞬間なのかな。それじゃあ飽きてしまうでしょ? だから俺、走ってるのかもしれないですけどね(笑)。立ち止まった瞬間に、景色は動かなくなるわけだから。まぁ、だけどもし、結局のところいつか終わりに辿り着くんであれば、そこに行き着いたときには、とにかくとんでもない自分でありたい。どうせいつかそこに行き着くんであれば、それまでの時間のあいだに、とんでもない自分になっていたいと思うんですよ。だからこそ同時に、そんな一瞬一瞬をより楽しむようになってきたかな。
――これから先、挑んでみたいことというのはありますか?
J: このアルバムを作って、ツアーをやってきて、今まで見えていなかったものが見えてきてるのは確か。こうして自分自身でも手応えのあるアルバムを作れたので、またその先にある世界を見てみたいな、と純粋に思っている自分が今はいます。その世界があるのかないのかは実際に行ってみないとわからないから、当然のように不安もあるにはあるんだけども……。でも、なんかこのアルバムを作って、ツアーをやってきた自分が今現在、感じていることはそれで。『eternal flames』の先にある世界というのをね……。まだ、ぼやっとした状態というか、頭のなかでも映像にすらなってないように思うけど、そういう感覚ではあります。しかし、この『CRAZY CRAZY』のシリーズも今回で第5弾になるわけですけど、次にこの映像を作る頃、俺は何を語っているんでしょうね?(笑)
――間違いなく次のアルバムも出ているし、ソロ始動20周年を迎えている頃かもしれません。その頃、Jさん自身はどうなっていたいと考えていますか?
J: 今よりもさらにタフになっている自分にそこにいて欲しいですね。当然のようにそう思う。でも、そこに行き着くには、やっぱりいろいろなものを自分のなかでエネルギーに換えていかないと。そうしないと今以上の自分にはなれないし、それはすぐ手に入るようなものではないから。でも、今までもずっとそうしてきたし、これからもそうしていくんだと思う。過去、現在、そしてこれからってものに繋げていくには、やっぱり“今”ってものを燃やし続けていかないとね。
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