SKY-HI

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SPECIAL

「FREE TOKYO」リリース記念対談 / SKY-HIといとうせいこうが語る “ヒップホップ”

日本語ラップのパイオニアと2010年代のラップ・スター

SKY-HI
僕の世代にとっては、せいこうさん含め上の世代の方たちの研鑽のおかげで既にブラッシュ・アップされた状態の日本語ラップを聴くことが出来たので、それこそアメリカのヒップホップと並べて聴いても、違う楽しみ方を同じ時間帯に出来ちゃってたんです。だから、築いて頂いた礎の上に僕も立ってる、という感覚はすごいあります。(日本語ラップが進化していく過程で)テーマの切り口もどんどん枝分かれして広くなっていきましたよね。キングギドラ(現:KGDR)の2MCがソロになったとき、Zeebraさんはパーティ・ラップ的になっていって、Kダブシャインさんはどんどんコンシャスな方向に行ったりとか、そういう流れを見ながら育ってきたんです。二足歩行で歩いてると二本足で歩くことの難しさを思い出すことは出来ないモノですけど、最初に『アレ?これ、二本でも歩けるんじゃね?』って思って実践したのがせいこうさんたちの世代ですよね。だから、『おかげさまで、僕たちは素敵な歌唱法を手に入れることが出来ました』っていう感謝の想いがあります
いとうせいこう
それはすごく嬉しい。最初の頃は、ヒップホップのリズムの中だとどうしても“音頭”みたいになっちゃったんだ。韻に関しては、『私は今日、歩く』を『私は歩く、今日』みたいにすれば韻が踏みやすくなるけど、『どういうリズムを使ってラップするか?』っていう部分で。ただし、ここ数年の僕はその“音頭”を使いこなしたい、って思ってるんだ。日本語的な休符が入ってる感じでもダサくなく言える人が、今はいっぱい出て来てると思う。それは、本当に細かいリズムの取り方の違いが分かってる人たちだからなんだけど。でも、今考えると、そういった課題に対してはそんなに悩むことなく乗り越えてきた気がする。どの国の音楽でも、メロディとは別の系統のモノってあるんじゃないか?って。そういった各国のリズム主体の民族音楽/言葉の特徴を用いながら、例えばアメリカ的なモノに合わせていくという行為が、1980年代以降、一気に世界中で起こり、その結果、面白いリズムがたくさん出て来た。やっぱり、ラテン系の人たちの載せ方とか、当時から面白かったもん
SKY-HI
例えば、現在のラップだとケンドリック・ラマーやロジックのようにスキルフルなラップをする人たちって、音符上でその構造が解明されたりしてるんですよ。今だとアカペラ音源とインスト音源を波形上で並べて見ることが出来ちゃうし。そういう、音楽的な学びのようなことってやられてきたんですか?
いとうせいこう
僕は音符が読める人間ではなかったから、それはなかった。だから、近田春夫さんからは『せいこうは“ミュージシャン”じゃねぇからな』ってよく言われてた。だけど、僕は『だからこそ出来ることもあるし、それがラップ/ヒップホップなんじゃないか?』って思っていたし、非音楽的なアプローチ -- メロディも消しちゃうし、後で『ジャズ的なアプローチだな』と分かってはくるけど、敢えて合ってないコードをハメるとか -- 『音楽じゃないことをやりたいんだよな』って思ってたから、僕の場合はパンクに近かった
SKY-HI
そうですよね。正にTINNIE PUNX(笑)
いとうせいこう
そうそう。TINNIE PUNXも、最初はボンデージ・パンツ履いたりロンドン経由の山高帽を被って、靴は紐なしのスニーカーっていう格好でラップをやってたわけですよ。僕は、今でもあの時のその発想は素晴らしかったと思うし、今となってはカニエ・ウエストみたいなラッパーたちもそういった部分を面白がってファッションに取り入れてるわけだよね。だから、パンクな気持ちでラップを始めたというのは、今でも心の中にずっと残ってますよ。今でもパンクの気持ちでラップをしたい
SKY-HI
今の若い子たちは、自分も含めて恵まれてることがいっぱいあるし、最初からヒップホップっぽい格好とかの“教科書”があるんですよね。だから、『自分がこうだからこういう表現をする』というより『こういうモノになりたい』という考えが先行して、その後から表現が付いてくる。それは決して悪いことではないですけど、せいこうさんが仰ってたような初期のような爆発力を持ってる人が少なくなる、ということはあるかもしれないですね
いとうせいこう
僕らの世代は、(現在の10代のような若い世代のように)フリースタイルでラップが出来て、相手に言い返すなんてこと、出来ると思ってなかった。僕が今思ってるのは、『コレは脳味噌レベルで日本語の使われ方が変わってきてるな』ってことで。で、僕らの世代より先行して過去にそういったことが行なわれた例があるのか?って考えていくと、例えば井原西鶴とかは一日に1,000~2,000句も歌を作って、しかも客を入れて一晩中やり続けてたんだよね(矢数俳諧)。(ラップのように)リズムに載せては出来なかっただろうから俳諧という形で詠んでたんだと思うんだけど、『ひょっとして、どっかで太鼓とか鳴ってたんじゃないか?』とも思う。残念なのは、その当時はレコーディングが出来なかったから、“音”が存在してなかったかのように伝わっちゃうんだよね。で、言葉だけが残っていくから、言葉の存在だけ際立っちゃうんだけど、『踊ってたな、コレは』って思わせるようなことも、いろんなところで感じることがある。だから、井原西鶴がやってたようなことを、今の若い子たちはフリースタイル・ラップを通して全然出来ちゃってるんだ。なので、僕らの世代がダメだっただけで、上も下の世代もやれてたのかもな?って思ったりすると、すごく面白くなる。『だったら俺のやり方もあるかもしれない』とも思えるし。だって、日高君がRHYMESTERを聴き始めた時期は、まだフリースタイル(ブーム)の時代ではなかったでしょ?
SKY-HI
そうですね。だけど、フリースタイルの存在や『自分でもやってみよう』と思うようになるのには、そんなに時間がかからなかった気がします。それは、やっぱり(前提)知識があったからだと思いますね。聴き始めてから程なくして映画『8マイル』が公開されたり、『BBOY PARK』のMCバトルでKREVAさんが3連覇した後だったから、そういったことを踏まえると『僕でもやれる……っぽいぞ!』っていう感じだったっぽいですね。それは、若い子特有の強さかもしれないですけど、『先にやってる人がいるから、自分もやれそう』みたいな感覚でした
いとうせいこう
映画『2001年宇宙の旅』で、猿がモノリスに触った瞬間に意識変革が起こるっていうシーンがあるけど、ああいうイメージがあるんだよね。モノリスを触りに行った子たちが物凄い遊びを始めちゃった、というか
SKY-HI
後世になって既に出来上がっている家とかを見ても、その建てられ方までは分からないじゃないですか。でも、僕たちの世代はパイオニアの方々がその家を建てている過程もたくさん見ることが出来たんですよね。あと、クラブ・シーンも盛んだったから、現場でヒーローたちに会ってラップの話を彼らとすることも出来た。『あの柱はどうやって作ったんですか?』『え?お前、あの瓦の積み方知らないの?アメリカのアレ見ろよ、今はみんなやってるよ』みたいな(笑)。だからこそ学びが早かったですし、そういう意味だと今の若い子たちはもっとそういうのを見れる時間が増えてるんじゃないですかね
いとうせいこう
なるほどね。近年流行った三連符の載せ方みたいに、技術的な『基本となる柱の作り方』はみんな分かるわけだもんね
SKY-HI
せいこうさんにとっては、ラップではなくて他のジャンルの音楽のアプローチじゃダメだったんですか?
いとうせいこう
他の音楽のアプローチだと、メロディや小節数や構成など、既に作られたフォーマットでやらなくちゃいけないし、それをやるためには、例えばコード進行を知らないといけなかったり、何かを演奏できないといけなかったわけ。だけど、ラップって基本的に“演奏者”がいないんだよね。確かに、DJがスクラッチしてるのとかは演奏ではあるんだけど、よく考えると子供がやってるようなことだし、そのパンク感がヒップホップにはあった。『コレは何も知らなくても出来る!』っていう
SKY-HI
そうですよね。□□□でも“ヒップホップの初期衝動”という曲がありましたけど
いとうせいこう
『指鳴らすだけ/それがリハになり』とか、本当にそうだったからね。そんなことが他のジャンルの音楽で可能だったか?って思うと、ね。だけど、僕がみんなとはちょっと違う立ち位置でヒップホップを捉えていたことがあって。モダニズムを経て『近代ではあらゆる手法が出尽くした』という考えからポスト・モダンというものが出て来て、『もう革命は起きない。革命であるかのようなことをやるしかないんだ』っていう風に思ってたときに、あの音楽(ヒップホップ)が出て来たんですよ。確かに、ヒップホップもあらゆるジャンルの音楽をごった煮みたいに混ぜてるから新しいモノは何ひとつないんだけど、それらを重ね合わせることで何だかワクワクするモノが出来る。『ポスト・モダンってバカにできたモンじゃないな!』って思ったし、『コレって現代音楽だよな』って。だって、“引用”しかないんだもん。他人のレコードの音の上でラップしてるんだし。それまでの現代音楽では、例えば『何分間、演奏しません』みたいなことをやってたわけだよね(ジョン・ケージ)。それはそれで面白かったわけだけど、そうじゃなくて全員が踊って笑いながら、しかもストリートで現代音楽をやってる -- 『一体コレは何だ!?』って思ったのが、僕がヒップホップから得た強烈な“刺激”ですよ。『それまでの音楽がモダンだとしたらヒップホップはポスト・モダンなんだ。だったら僕はこっちの方をやるべきだし、それをやるんだったら音楽を勉強する必要がないし、そういう態度がカッコ良い』って思ったんだよね
SKY-HI
じゃあ、手法的な部分に惹かれたということですね。テーマ性とかは後から?
いとうせいこう
後からだね。だって、何言ってるか分からなかったもん、最初。英語だし、ものすごい訛りで早口だったりしたから(笑)。でも、『どうも自分の自慢をしてるっぽいな』とかは何となく分かった。で、『自分がこの新しいやり方でどんなテーマを語ればいいんだろう?』って思ったんだけど、例えば“東京ブロンクス”(いとうせいこう & TINNIE PUNX)とかは核戦争後の東京 -- それはポスト・モダン期にすごく流行ってた東京のイメージなんだよね -- そういう、ヒップホップ以外のところで得てきた知識をラップという手法に埋め込んでいきながら歌詞を作っていた
SKY-HI
じゃあ、あの時点で相当ハイブリッドなモノだったということですね
いとうせいこう
高木完ちゃんが『1966年にロックンロールがあって、77年にはパンク、88年にはヒップホップがある』ってよく言ってたんだけど、彼はそれぞれのジャンルを切断して考えてなかったと思うんだよね。全部、『音楽理論なんて関係ねぇ!』って言った人たちの系譜だし、その系譜の上に自分たちが乗っている、という感覚が強くあったね