J ライヴ&ドキュメント映像『CRAZY CRAZY IV  -THE FLAMING FREEDOM-』2014年3月26日発売!!

――『CRAZY CRAZY』も実に今回で4作目。もはや恒例になってきました。
そうですね。最初にこういったドキュメンタリー映像作品を出そうと思ってから、もう4作目。
自分自身でもその都度その都度、自分自身が熱くなってるものというか、想いを注いでる時間というのを切り取って作品にしてきたわけだけど、それが自分自身の音楽と重なったときに、音自体がみんなに届く速度というか、音の熱量みたいなものが上がればいいなと思いながらいつも取り組んできたんです。今回も、楽しいものにはできたかな、と思ってます。
――このシリーズの第1作が制作された頃、Jさんがライヴのみならず舞台裏やさまざまな過程までを映像に収めようと考えたのは、やはり「この先、何が起こるかわからないぞ」といった予感めいたものがあったからなんでしょうか?
うん。音楽を作っていくうえでいちばん重要なファクターというか、切っ掛け、ヒントといったものというのは、実はステージに上がってるとき以外にもたくさん出てくるわけなんですよね。
熱い瞬間というのは、ステージをを離れてるときにも実際に多々ある。例えば、それこそ酒を呑みながら他のミュージシャンたちと話してるときとかね。そこにあるのもまたロックな空気なんだよな、と思うわけです。
そういった現実に改めて気付かされたことなどが、このドキュメンタリー映像の指針にもなった気がするんだよね。
――純粋なライヴ作品とは別の意味で、この『CRAZY CRAZY』は、アルバムとアルバムの間というか、さまざまな時間の隙間を埋めてくれるものでもあるように思うんです。
自分で見返してみてもそれは感じるよね。当然、映像作品を見てるときというのは過去の自分と向き合うことになるわけなんだけど、なんか自分のなかでも辻褄がバシッと合うというか。
「そうか、今の俺がこの場所に立ってこうしているのは、あのときあの場所でこんなことを感じてたからこそなんだな?」とか、自分でもわかったりして。だからこそ正直、当事者としては照れくさかったり、むず痒く思えたりする場面も当然あるんだけど(笑)、同時に、ものすごく強くて太い“幹”みたいなものがあるのを感じさせられるんだよね。
――点と点がちゃんと繋がっていること。振り返ってみたときにそこに気付かされるわけですよね? たとえば2013年の後半を通じて展開された東京での10 DAYS公演についても、取り組み始めた頃にはまだ見えていなかった部分もあったはずだと思うんですよ。
ですね。ある意味、いざ始まってしまうと自分としては完全に客観的には見られなくなるところがあるじゃないですか。目の前にあるものに対して思い切りぶつかっていこうと思えば思うほど、そこに集中していかなきゃならなくなってくるわけで。その先に何がどう転がっていくのかを計算なんかしてたら、絶対に開かない扉というのもあるわけで。そういう計算じゃない次元にある瞬間みたいなものが、実際に映像に残ることになるから。
――ただ、あらかじめ見えているというか「この計画は間違っていない」という確信もあるはずだと思うんですよ。それこそ何ヵ月にもわたってシリーズ化されたライヴを実践していく狭間にも、フェス出演とか、さまざまな機会があったわけじゃないですか。そういった際に「もしかしたらこの計画は間違ってたんじゃないか?」と感じさせるようなことがあったとしてもおかしくないはずで。
そこで面白いのは、今や、逆にみんなのほうが俺がどんな人間なのか、俺がどういうやつなのかを理解してるんじゃなかってこと(笑)。それこそフェスとかイベントに呼んでくれる人たちもね。
だからどんな場に招かれても、俺は俺自身のままでいればいいというか、俺自身であることが望まれてるというか。当然、俺は俺でしかないんだけど。そういった機会ばかりだったからこそ、2013年というのはものすごくいろんなものを得られた1年だったなと思います。
――フェスやイベントへの出演というのは、Jさんにとってはむしろ新しいものだったはずですよね?
うん。LUNA SEA終幕後はあまり出て行かなかった場所で。やっぱりそうした場に出て行こうとしなかったのは、自分にとって不本意な形で出て行くことの危険性を感じていたからでもあるし、そこで誤解が生じることの怖さを知ってたからでもある。
もちろん表現者としては、フェスみたいな場で不特定多数の人たちに観てもらうことに対する欲求というのもあるわけだけど、そんなふうに感じざるを得ないようなイベントもたくさんあった、ということです。だけど近年になって、あちこちから「ここにJに来て欲しいんだ」という情熱が感じられるような話をいろいろもらうようになって。これは幸せなことだなと思うし、自分がどんなやつかを説明しなくて済むのはラクで助かるし(笑)。
――説明の要らない状況。それを作るために15年の年月を費やしてきた、ということになるのかもしれませんね。
そういうことなんだろうな、と思うことが実際あります。「俺はこういうやつなんだ!」ってことを言い続けてきた十数年だったのかな、と(笑)。
――まだフェス文化が未成熟で、関係者たちのJさんについての理解度が低かった頃だったら、「せっかくだからLUNA SEAの曲もやってください」みたいな要求も来ていたんじゃないかと思うんですよ。
うん。だけど今は純粋な意味での思いや、リクエストががちゃんと存在してるんだ。「TONIGHT」とかをプレイしてもそれを感じるよ。それと、これまで自分が築いてきたものについての自信の現れでもあるだろうし、俺の作った曲だし、べつに何の含みもなくそういったことができるというか。
もちろんLUNA SEAもまた自分自身がやってきたことだし、それに対してみんながリスペクトしてくれるというものすごく幸せな状況のなかで、それは自分が見せていかなきゃならないもののひとつでもあると思うしね。自分のなかに普通に共存してるもののひとつだから、それを素直に出せばいい。
今はそういう気がしてるんだ。
――今回の映像作品は、年末のライヴが丸々収められたディスクと、ドキュメンタリーのディスクで構成されています。前者については「見ればわかる!」というタイプのものだから敢えてあれこれ確認しようとは思わないんですけど、実際、あのライヴを終えて年を越したとき、2013年はどんな年だったと感じていましたか?
とにかくものすごい勢いで進んでいった1年だったな、と。今でもよく憶えてるんですけど、カウントダウンの瞬間に「あれ? つい最近にも俺、この瞬間を見てなかったか?」と思ってしまうぐらい、その1年の経過が早かったんです。実際に思い返してみれば、いろんなことやってきたんですよ。
しかもすごく濃いことばっかり。だけどカウントダウンのステージで感じたのは、ものすごい速度と勢いで進んできた1年だったということで。で、そのことをある人に言ったら、「それはきっと、濃すぎるからだよ」と言われて(笑)。
――同感です、僕も(笑)。
ははは! で、その人からは「だからそういった感覚になるんだろうし、それはいいことなんだよ」と言われたんです。実際そうなのかもしれないな、と自分でも思って。
――間違いないですよ。なにしろJさん個人としても濃密な活動展開をしてきたのに、LUNA SEAの新作アルバムまで制作/発表してしまったわけですから!
そうでだよね。そういう意味では、この『CRAZY CRAZY W』には収められてない、もうひとつの時間軸というのがあったわけで。その双方が両輪のように回り続けてたというか……。でも、面白いですよ。そのすべてが刺激として自分に還ってくるという感覚が今はあるんだ。反動もあるんですよ、もちろん。だけど共鳴もある。
そのなかで自分がどういうふうに音楽を響かせていくかってこと、1人の人間としてどうやって存在していくかってことを、いろんな角度から見られた気がするんです。そういう1年だったんじゃないかな。しかも同時に、これまで一緒にやってこなかったような人たちと機会を共にしながら、そこでより刺激が大きなものになっていくということも経験してきたわけで。すごい年でしたね、間違いなく。
――ひとつだけ観られそうにないものがあるとすれば、それソロとしてのJさんと、LUNA SEAがステージを共にすることだと思うんですよ。変な言い方になりますけど、たとえばLUNA SEAが客観的な目で共演したい相手を探そうとすれば、Jさん個人という存在が目に入ってもおかしくないはずで。もちろん逆のことも言えるでしょうし。
そうかもしれないね。そうだとすれば、ソロとしてのJはLUNA SEAからのオファーを快諾できるようでありたいし、LUNA SEAにもそういうバンドであって欲しいというか(笑)。もちろんセパレートという意味じゃないんですよ。それぐらい両方が張ってる状態というか、漲ってる状態にないと、そういう構図って成り立たないはずじゃないですか。そういうものなんだなって感じさせられるし。
――時間経過のなかで、さまざまな出来事が符号することの不思議さも感じさせられますよね。たとえば東京10DAYS公演の一環として行なわれた渋谷クラブクアトロでのライヴの映像も今作には収められていますけど、そこはかつてソロ始動した当初のJさんがシークレット・ライヴを実践した場所でもある。今回は当時の映像なども絡められていて、とても興味深いものがあったんですが。
いろんなことがあるよね。不思議だなと思わされることも多々あって。
ひとつひとつ自分で答えを探してきたつもりが、実はそういった場所に答えがポツッと置いてあるような感じがすることがあるんだ。探そうとしなくてもそこにある気がする、みたいなことが結構あって。だから怖くなることがたまにある。実際、かつてシークレット・ライヴをやった頃の俺には、十何年後に同じ場所に立ってる俺なんて当然想像できてなかったわけだし。
だけどね、そうやって同じ場に立つと、ふっと同じ瞬間に戻れるようなところがあるんだ。あのときに求めてたもの、あのときに見てた絵みたいなものが、今、自分の手のなかにある。で、そこから先に進んでいこうとしてる自分というのを感じられるわけですよね。それはもう、とんでもない体験だと思うし。自分の身のまわりで、すごくそういうことが起こるんですよね。だからこそ、自分が鳴らす音というものについては素直でありたいと思うし、ピュアなエネルギーをもってこの先に向かっていきたいと思うし。初期衝動みたいなものに突き動かされてロックを始めた人間だからこそ、そういうものをいつまでも失わないように……。まさに“途切れないように”ということですよね。そうやって歌ってきた以上、自らそれを途切れさせちゃいけないと思うから。
――ええ。ところで今回の映像作品にはさまざまな楽曲のミュージック・ビデオも収録されています。Jさんの場合、常に演奏シーンは不可欠なところがありますが、いつも設定がなかなか凝っていて……。
MVを撮るときにいつも話すのが、やっぱりダイレクトに演奏の温度感が伝わるものがいいなあということで。もちろん俺自身もああいった映像を見るのは好きなほうだし、いろいろと試したくもなるんだけど、最終的に行き着くのはやっぱりそこなんです。バンドが演奏してるシーンがカッコ良く目に映るものじゃないと、何も成立しないんじゃないかという気がするんですよ。
もしかしたらいつか、演奏シーンがまったくないものも作るかもしれないですけどね、逆に。だから「演奏シーンじゃないと駄目だ!」という感じに縛られてるわけではないんだけど、基本的にはどうしてもそういう発想になるかな。同時に、そのときのバンドの温度感やうねりみたいなもののあり方の違いというのが、こうして映像を並べて見たときに伝わるんじゃないかと思うんですよね。そういったところも楽しんでもらえたらいいなと、思ってるんですけど。
――改めて各MVを見たファンから、「こんな映像もいつか見てみたい!」といった声も届いてきそうですね。さて、最後に。2014年もすでに四分の一が終わりつつあるわけですが、Jさんにとって2014年という年はどんなものになっていくんでしょうか?
すでにソロのライヴも決まってるわけですけど、LUNA SEAのライヴもあって。
それを考えただけでも、確実に去年以上に濃い1年になるんじゃないですかね。
なにしろ千年に一度の“014年”ですからね(笑)。すごいことになるはずというか、ならないはずがない。絶対そうだと確信してます(笑)。

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