BIOGRAPHY

突然の父との死別。その意志を継ぎラップの道へ



1987年5月29日LA生まれ(2008年の誕生日で21歳)。
本名:クリストル・ジョンソン。アフリカン・アメリカン(黒人)とメキシカンのハーフ。

4歳の時に父・カルロス・ジョンソンが、ギャングの抗争に巻き込まれて銃撃戦で死亡。
愛する父の想い出について彼女はこう語る。「小さいときに亡くなったのではっきりとは覚えていないの。でもいつも買い物に連れていってくれたり、迎えに来てくれたり、一緒に公園に遊びに連れていってくれたことは覚えてるわ」。
日本でいうなら幼稚園に通う年齢で母子家庭となったが、経済力のなかった母が育児を諦め、LAのサウス・セントラルで父方の祖父母によって育てられる。

ラッパーでもあった父の影響もあり、ラップやヒップホップに興味を持ったが、敬虔なクリスチャンであった祖父母はそれに反対。ソウルやゴスペルなどを聴いて育つ。その当時を彼女は振り返る。「祖父母は、私にひとの道にはずれない人生を求めていたのは間違いないけど、私が音楽に凄く興味があるってことを理解してくれたわ。そういう環境も作ってくれたしね。ステレオやヘッドフォーンを買ってくれたので、自分の好きな曲を聴くことができたの。それが現在につながっている。祖父母がR&Bやソウル・ミュージックなんかを聴いていたので、私も幼い頃からそうして音楽に触れたきたの。」

13歳頃から地元でいくつかのR&B系女性グループに参加し活動を開始。それでもどこかしっくりと来ず、やがて自然な流れで父の志したラップの道へと進む。

「グループで歌うのではなく、ラップというジャンルにある種の心地よさを感じたの。自分自身を表現するのにラップのスタイルがピタっとはまったの。これもきっと父の影響ね。」

男性による寡占状態のラップ業界へ

ただしラップ業界は男性による寡占状況が続いている、これまでにも女性ラッパーがいなかったわけではないが、その成功例は極めて少ない。また数少ないサクセスの例をみても、そうした女性ラッパーの多くが、男性に負けず劣らずタフなイメージのひとたちであった。
アクセントのような小柄でキュートなルックスをもつ女性が、ラップの世界に飛び込むというのは、当然かなりの厳しさがあったという。
「確かにラップ業界は男のひとたちばかりで、時には女性ラッパーは貶されることがあるわ。でも継続することに意味があると思ってる。それを貫きたいの!」

48時間でメジャーレーベルの社長自らがサイン

16歳になったアクセントに大きなチャンスが訪れる。2003年の夏の終わり、才能あるティーンエイジャーの売り出しに定評のあるLAのエンタテインメント・カンバニー、ジュニイン・ミュージック・グループのオフィスに、知り合いの業界関係者がアクセントを連れて来たことで運命の歯車が回りはじめた。そこで、総帥マイケル・マヴロラス(通称:マヴ)の前でお得意のマイク・スキルを披露。その時のことを「今まで女性ラッパーというと20〜30歳代で年代的にも上の世代しかいなかった。そんなマーケットに、若くしてラップの上手いアーティストだということででもの凄く興味をもったんだよ。」とマヴは語る。実際その才能に魅了されたマヴは、早速20曲を超えるデモをアクセントに完成させ、メジャー・レーベルのキーマンたちを集め、ショーケースを行う。特にアクセントに興味を示していたキャピトル・レコーズは、社長自らアクセントのショーケースを観るためだけにニューヨークからLAまでやって来た。そのパフォーマンスに惚れ込み、翌朝10時にジュニイン・ミュージック・グループのオフィスで契約が締結してしまった。48時間というスピードでサインされたアーティストということで、アクセントの華麗なる伝説がはじまった!

♪ジギジギ ザンザ ザンガザン〜♪でアルバム15万枚セールス!

デビュー・シングル「ジンギー」は、ある意味偶然の産物であった。
”キング・オブ・ダンスホール”ことビーニ・マンのマネージャーを個人的マヴが知っていたことで、「ジンギー」のもととなった楽曲をLAに持ち帰ることに。これにアクセントがレコーディングし、「ジンギー」が誕生した。結局アクセントとビーニ・マンは一度も会うことなくビッグなコラボレーションが完成した。一度聴いたら耳にこびりつく♪ジギジギ ザンザ ザンガザン〜♪と超強力なフックのこの曲は、2006年の夏のキラーチューンとなった。1stアルバム『インターナショナル』は、15万枚をセールスし、女性ラッパーのアルバムとしては驚異的な記録を打ち立てた。
その後、DOUBLEとのコラボーションも実現し、スプリング・グルーヴにも出演!日本でもアクセントは確実にファンを増やしていくことになる。

タフさはそのままに、オトナになって、セクシーな武器で魅了!!





2008年、21歳になったアクセントは、2ndアルバム『GEM-IN-I(ジャミナイ)』を完成。
ボーイッシュで強いタフなイメージはそのままに、ちょっぴりオトナになったアクセントが、セクシー度を増してアピールしている作品。タイトルは、彼女が双子座(十二宮でいう双児宮)であることに由来している。またダブル・ミーニングにもなっていて、アクセントのなかの「陽気な面」と「シリアスな面」との両面を示してもいる。さらには、そのスペル(GEM-IN-I)からもわかるように、「私の中の宝石」という意味ももつ。このアルバムでは、前作以上にタフなフロウを披露するなど、外見以上に、精神的に成長したアクセントの姿勢が、自ら制作に関わる楽曲が増えていることでもわかる。
このアルバムでその多くをプロデュースしたのは若干22歳の若き天才プロデューサー、ジュークボックス!ブラザー・ジョンソンのギタリスト、ジョージ・ジョンソンを叔父に持ち、14歳でプロの世界に飛び込んだ彼は、これまでにウィル・スミス、テディ・ライリー、2 Pacなどのプロデュースを手がけてきた。

シングル「ルージング・コントロール」は、アクセントらしいパーティー・チューンであるが、デモの段階ではアップビートの曲に仕上げる予定はなかったらしい。その後、アクセントとジュークボックスが話しあい、いちばんこのスタイルが流行の先端だなと確信し完成させている。

アクセントは、自分とほかのアーティストの違いについて、「アップテンポでパーカッシヴなサウンドが盛り込まれた、ミクチャー的なサウンドが特徴だと思うわ。」と説明する。
「私は貫きたい自信や誇りがあるので、どんな時でも最後までやり続けることを諦めない。私が何をしているのかってことを、みんなに伝えていけるんだと思う。みんな何かを感じてもらうことができるアーティストだと自分では思っているの。」

前作の成功で得た自信と余裕が、アクセントやジュークボックスをはじめとするプロデューサー陣と相乗効果を生み、2作目にして傑作というべき芳醇な内容のアルバムを完成させたのだ!